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正しい知識とスキルがあっての根性論【学校教育】

だと痛感している。

私は色覚障害をもっている。
見える色と見えない色がある。

が、
それに気づいたのは小学3年生。

それまでは、
虹を見ても2色しか見えない。
周りの人が言う色と自分の見える色が違う。

そんなことが、
何度もあった。
でもみんなの言うように見えない俺が悪い。
俺の努力が足りない。
俺が悪い。

って、
ずっと思ってた。
でも3年生の時、

『あなたは、
お医者さんに色覚障害で見える色と見えない色があるよ。』

と言われ、
凄く安心したのを覚えている。

障害って言われたのになんで?
って思うよね。

それは、
俺が悪いんじゃないんや!
って思えたから。

それまで、
母親と必死に色を見る練習もしたし、
必死に目を凝らして、
みんながいう色に見えるまで、
ずっと目を凝らしてみたこともあった。
でも、
見えない。

だから、
安心した。

学校現場で考えると、
どうだ?

何かしら原因があるのに、
本心の責任ではないのに、

甘えてる!
なんでちゃんとやらんのや!
努力が足りない!

こんな声が山ほど聞こえてはこないか?
馬鹿げている。


例えば、
色覚障害で、
考えて。

指導者側に色覚障害の知識があり、
その知識のもと克服、
もしくは乗り越えられる手立てをうつスキルがあって、

頑張れ!頑張れ!

って、
応援する、
という根性論ならいい。

つまり、
知識とスキルがあっての根性論ならいい。

でも、
知識とスキルもなく、
ただただ根性論なんて、
バカだ。

こんなこと言ってる自分も
そのバカに知らず知らずのうちになってることも十分ある。

そうならないために、
日々精進。

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