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人はカテゴライズ出来ない

みなさんは、あなたはどんな人?って聞かれたらどう答えますか。

わたしはというと、困っちゃいます。笑

聞いといてなんなのですが。笑
困っちゃうんです。
だって、いろんな面があるから。
こう!とは言いきれないんですね。

例えば、「わたしは優しい人です」と言うと、
優しい人って言うのがなんか嘘にも本当にもなってしまう気がします。
だって、優しい人って言われても、
いつも優しくは出来ないし、切り取るところが違えば、厳しい人に見えることもあるでしょ?
一見優しいけど、一見厳しくも見れちゃうわけです。
その人のどこを見たかでも変わるし、誰から見たかでも変わるのです。
でも、その人はその人で。
変わりはないんですよね。
要は、切り取るところでいかようにも見れるということです。

ですので、人はどんな人、なんてカテゴライズは出来ないと、わたしは思っています。

そういえば、最近の人気曲で、SEKAINOOWARIの「habit」って曲がありますよね。それを聴いて、『君たちったらなんでもかんでも分類、区別、ジャンル分けしたがる』という歌詞に妙に共感しちゃいました。笑
人にはそんな習性があるのかもって思うと自分も同じだなって思いました。笑

実は、わたしも昔人を分類しようとしてました。
というのも、分類すれば、人に対する上手な対応がわかると思ったからです。
それになにより相手がどんな人かってわかると安心できるような気がして。

でも、自分も含め人は変化する生き物だと分かったのです。
いろんな面がある上に変化もする。
だから分類すること自体も意味はないのかもしれないと思いました。

同様に、自分を紹介するときもこんな人、だなんて言わないようにしています。
以前のわたしは、幸いにも優しいと周りから言われることが多かったもので、「いつでも優しい自分」になろうとしていました。
おかしな話ですよね。笑

自分の首を絞めているようなもんです。
わたしだって優しくない時はあります。
それに優しくしようとすればするほど心が満たされず本来の優しかったはずのところまで優しくなれない時もありました。

だから、自分のことも相手のことも分類しようとしないようにしようと決めました。そうしたら自然と距離感も掴めるようになってきました。
まあ、まだまだ失敗もありますが、分類しようと躍起になってた時よりも生きやすくなったことは確かです。



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