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なるほどね!とってもわかりやすい、人材育成理論---坂井風太さん。

いろんな会社が、企業が、機関が、団体が今、人を育てることに孤軍奮闘している。

と、主婦の私は俯瞰して見ている。

Z世代-----と言われる若者世代が、
どのように私たちと違い、どのような動きをするのか、またいろんな情報がいともたやすく手に入る現代の便利さと弊害とを併せ持ちながら、
これからどう立ち向かうべきかを、とても平易な表現で、わかりやすい語り口調で話す坂井風太さん。

その話の中で、
私がヒットした部分だけ、
徒然なるままに、
ここに記したいと思うので
しばし
お付き合いくださいませ^_^

以下引用。

--「何者か」になるには
“狂気的な努力”が必要。

私はDeNAの社内で、たまたま「狂気的」に仕事をする先輩と出会い、「こういうことなのか!」と気づくことができましたが、何かに我を忘れるほど打ち込みたい、でも、自分にはそんな才能がないーと焦っている声を聞くこともあります。
私は「別に自分も特別な才能はない」と思っていますし、個人的には、人間の才能なんてさほど変わらない。「自分を卑下することは自分の可能性に蓋をすることと同じである」と考えています。


--------そっかぁ。
やはり、ある時期、一定の
[がむしゃらに、馬車馬的に、狂気的な努力をする] というのを、
経験しているか否かは、大きい。
というのを再認識した。

これは、受験前のモーレツな受験勉強しかり、何か資格を取る前の、短期集中的な追い詰め方、でもいい。
狂気的な努力、をそこまでしなくても、と笑う風潮にあるかもしれないが、身体を壊してまで延々と何年もやり続ける必要はないけれど、ある時期それを経験するのは大事やなと思う。

私自身、個人で塾をやりながら、仕事も主婦業も抱えて、ご飯は必ず作る生活を、しんどいけれど意外と楽しんでいたりできるのは、訓練されたからかな^_^
そしてメインは慈善事業。
子供もそれぞれ大きくなり、幼い子を何人も育てていた頃と比べると全てが(気持ち的には)余裕やん、と思えるのね、時間的には多忙に見えるけれど✨✨
それでも、振り返ると狂気的な日常は長くあったなぁ。

(引用に戻る)
「自分には才能がないこと」を免罪符に、挑戦しないことは、一周回って失敗して傷つきたくないという自己愛の表れだとも思いますし、逆に「理想の自分」に執着しているからこそ、そう言っているのではないかと思います。

「才能がない」と思っている人に読んでほしいのが、南海キャンディーズの山里亮太さんが書いた「天才はあきらめた』(朝日文庫)です。山里さんの半生をつづったエッセーで、「何者かになりたい」という野心とコンプレックスを抱え、泥臭く、お笑いと「自分のドロッとした部分」に向き合う様子が赤裸々に書かれています。

------この本、読んでみたいな。

山里さんがすごいのは、自分の未熟さを認めつつも「自分のことを心から信じられるぐらい努力している」こと。その執念とも狂気ともいえる努力こそが「真の努力」だと言えるのだと思います。
同時に「何者か」になるためには、自分の努力に加え、誰かの助けも必要です。本書にも山里さんのお母さん、寮の先輩、芸人の千鳥さんらが山里さんを励ますエピソードが出てきます。「自分には才能がない」と他人をねたんだり、呪ったりする暇があるくらいなら、自分を支えてくれる人に感謝をして、努力と執着心を胸に前に進んだほうがよっぽどいいと思います。
特に若手のうちは自分で自分の可能性をじられなくなったら、終わりです。日々、転がるように失敗を繰り返しながらも、どうすればうまくいくかを考え続けて、試し続けることを教えてくれる1冊だと思います。

以上。


------坂井さんの、優しい語り口についつい読み進めてしまいました。

私自身も、
いろんな周りの人に愛されて、
応援していただいて、
協力してもらって、
できたことが多い。
それを感謝して。✨✨✨

また、いろいろ勉強させていただきたいなと思っておりまーす。

それでは、今日も一日がんばって👋

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