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歌舞伎狂言「三人吉三廓初買」河竹黙阿弥 レビュー ー流転する宝剣と循環する貨幣ー 4話

 続いて、人間関係について考える。ここまで物語のキーとなる「宝剣」と「貨幣」との2つのオブジェを考察してきた。これらは人と人の間を流転/巡回していく。つまりは人間関係のネットワークがあってこその流転/循環である。それではその人間関係はどうなっていただろうか。ここまでのあらすじから、主人公3人に限って人間関係を整理してみると以下のようになる。

和尚吉三 :伝吉の息子。おとせと十三郎(捨て子となる)の双子の実兄。

お坊吉三 :安森家の惣領。伝吉が安森家の「庚申丸」を盗んだことで、安森家は断絶、お坊は流浪の身に。実妹は遊女の一重。お坊に金をせがんできた伝吉(和尚の実父)を斬り殺してしまう。

お嬢吉三:久兵衛の実子(お七)だが、幼いころ誘拐される。久兵衛は捨て子の十三郎を育てた。お嬢は十三郎と双であるおとせから百両を盗んだ。

 このように整理しただけでも、人間関係は複雑かつ多重化していることは容易に理解できる。

 ここで、少し物語から離れて、人間関係の成り立ちから考えてみる。ヒトは狩猟時代には20-30人のバンドと呼ばれる集団で生活・活動をしてきたと言われている。その後も共同体を形成して生活することにより、特に近代の前までは、「共同体の中の誰なのかを知っている人(時に懇意)」との関係と「共同体の外からやってきた素性の知らない人(異人)」の2種類の人間関係があったと理解できる。異人が富あるいは災厄をもたらすことは多くの民間伝承に記録されている。
 
 また、武家社会にあっては、家族(実際の家族とそこで働く者)、大名が統治するお家という疑似家族、さらには武家社会という疑似家族が入れ子のように形成されていた。このような「家」の制度の中で生きる人は守らなければならない義理(時に自分の命よりも優先されるもの)があった。一方で、生身の人間としては親子、男女、友情といった関係(家の中と家の外のを問わない)があってこれは人情と呼ばれていた。武家社会のドラマはこの義理と人情という相容れない要素の葛藤から生まれた。人情を優先した二人は心中(道行)を選択し、人情をきっかけとした騒動のドラマが展開してもお家は元の安定した状態に戻る。これが武家社会での人間関係とドラマの基本であると橋本治は説明した(橋本治:「浄瑠璃を読もう」ほか)
 
 江戸時代は、江戸に地方の大名の家族を人質として住まわせた武家屋敷があって、そこに連れてこられた職人や、どこから来たのかわからないが町人、その他の庶民が下町に住んでいた。武家屋敷の中に住む武士からみれば屋敷の中は共同体の内部の人間関係で成り立っている。くに(故郷)に住んでいれば、共同体の外からやってくる人だけが名前も知らない異人である。江戸にやってくると交流のあるほかの武家と出入りの商人といった者を除けくと、街を歩くその他の人は名前も知らない異人である。これが現在の都会と変わるところはない。今の時代に生きていると当たり前のことを言っているように聞こえてしまうかもしれない。日本ではいつのころから「公道を歩いているのは知らない人ばかり」の都会が成立したのかは知らないが、自分が江戸時代の武士であったとすると、くにから江戸の街に引っ越してきてみると、周りが知らない人ばかりの気分は想像することができる。そうなると、その想像の先に自分の意思とは関係ないところで知らない人間と関わり(それは幸運だったり災厄だったり)が生まれてくることも認識できるであろう。
 
 物語に戻ると、安森家の元跡継や家臣、頼朝将軍をトップとする武家制度の中での「義理」を背負っている。商家でも木屋文蔵の店では木屋文蔵と使用人十三郎やお客との間で「義理」がある。また、登場人物それぞれの家族や親友、恋人といった関係でいわゆる「人情」がある。主役の三人も同様である。そのうえで、作者の黙阿弥は近親相姦(お互いの相手)、殺人・傷害事件(加害者と被害者)、窃盗事件(泥棒と被害者)などの、忌みされるような人間関係を三人に与えて、その素性と行動を描いた。これは都会に生活していく上で避けることのできない異人との遭遇であり、義理人情を超えた偶発的・超越的な要素である。いいかえると「悪」であろうか。坪内逍遥はこの物語を評するに際して「因果の理」と説明したので、以後は、この言葉を借用することにしよう(前掲今尾哲也解説、小林恭二「悪への招待状」)。
 
 説明がわかりにくくなってしまったが、簡潔に表すと、この物語の人間関係には、「義理」、「人情」、「因果」の3つがあると指摘できる。もちろん物語の人間関係は作者黙阿弥がそのように設定したからそうなっているのではあるが、このような基本原理の上で成り立っているのではないだろう。

  次回は、全部まとめておしまいにしたい。

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