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思い出話しPart1(脳腫瘍)

2013年に親戚の叔母が脳腫瘍(のうしゅよう)を患った際の体験談です。

注: 下記の内容は個人差があるので

・今から書く下記の内容が正しいとか

・今から書く下記の内容をやれば助かるという事でもなく

・自分に出来る精一杯の行動と思い込まして、やっていた例を

1度目の手術の際にミスがあり、その影響で2日後に意識不明になり8時間の緊急手術から戻っ て来た際に医師から 『寝たきり』もしくは『意識障害& 右半身に麻痺が残ります』 と宣告され

叔母に脳腫瘍を言い出したのも・脳腫瘍の検査を進言したのも自分だったので

『責任の取れない責任感』で2度目の術後から回復するまで一晩中泊まり込みでやっていた行動を↓

① 『九死に一生』系の番組で 『足の裏を刺激し続けたら意識不明の人が回復した』 というのを観た事が あったので

・本人が好きな音楽を枕元で流しながら、足の裏を一晩中マッサージで刺激し続け

②祖父が大病を患いICUに入院していた際

看護師の方から出来る事は話しかけてあげて下さいやらないよりわ、と、言われた事があったので

①が終了したら、本人は全身が管だらけで話したくても話せない状態だったので話さんでいいからと告げてから

※大ケガ・大病を克服しカムバックした人の話しやテレビを見ながらニュース等を一方的に語り掛けてました。

③1番大事なのは治ると信じる気持ち!

これが無かったら治る物も治らないと思いますし! 治らなくても命があるだけありがたいと思う様にし て!

辛いのは本人なので、サポートする側は辛くても本人の前では泣いたり態度に出さない様に気を使い、結果的に『高次脳機能障害』という後遺症・障害が残りましたが。

『経験上良くも悪くも刺激が無いとダメ』

何故こんな事が書けるのかと言うと

高校最後の体育祭で肩を骨折し卒業後1年はリハビリに費やしたのちに進学に失敗し

夢も希望も無いフリーターをしながら東日本大震災の被災地(宮城県石巻市)へボランティアに伺い!これがご縁で現地で住み込みで復興支援事業に従事し

復興支援事業の任期満了となり帰名したと同時期にこの叔母の看病が始まり

約10年経った今でも痙攣やてんかんの後遺症が残り発作が出ているそうですが、てんかんの発作の前には本人にしかわからない前兆があるそうですが、それを叔母は感じても『高次脳機能障害』の影響で上手く話せないので、10年前は、連想ゲームの様に、どうしたの?から、どこが痛い・どこがしんどいの?など言葉を掛け続け、

10年前に実際あったのは午前中に造影剤を服用し以降、造影剤が気持ち悪かったらしく、周囲の人が少しでも違う行動・仕草をしたら薬などを用意し発作に備えているそうです。

現在は、コロナ禍もあり1〜2ヶ月に1度くらいのペースでしか会う機会がありませんが逆にこれが功を奏し?!

良いのか悪いのか分かりませんが毎日見ている人よりたまにしか会わない人の方が、異変に気付きやすく

実例で手や足が浮腫(むく)んでいたら、体に溜まった水や毒素(デトックス的な)を外へ排出する数値が芳しくなかったり

呼吸が浅かった際は腎臓と肝臓の値が良くなかったのが影響っていうのを発見した事があり

不愉快に思われたら申し訳ないですが、

参考にならなくても頭の片隅にでも置いといて頂ければ幸いです。

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