最近の記事

あの人7

今日はすこしは、書けるかも。妻に先立たれる人生が、まさか、我がものとなるとは。いままでの人生の意味が、無くなった気がする。いままでだけでなく、これからの人生にも、色も形もない感じだ。しかし、わたしの医師としての師も、そして、チェーホフの「ワーニヤ伯父さん」のソーニャも言うように、「生き抜かねばならない」

    • あの人6

      いまは、抑うつ気分が強くて、とても書けない。

      • あの人5

        いま、「女のいない男たち」内の、「ドライブ・マイ・カー」を再読したところだ。村上春樹氏の文章と我が拙文とは、雲泥の差であるが、書籍名と同じ男たちの仲間に、わたしも入った訳だ。安っぽい表現だが、1回目に読んだ時には、まさか、我が事として起こる事だとは、考えもしていなかった。

        • あの人4

          なんだ、老耄医者の自慢話か!くだらん!と、思った方はここで読むのをやめられた方がよくない?その通り、やめた方がよろしい。精神科に目を引かれた人も、つまらないと思いますよ。病気の話は、必要に迫られない限りしませんし、ご存じのように、法律もありますし。ここで昔話から、一度、現在に舞台を移します。 わたしは、2週間まえに、妻を亡くしました。

          あの人3

          父の生業は、いまで言うところの、経営コンサルタントであった。と、言っても、中身は、だいぶ違うのだが。 しかし、今日はわたしの現在の生業で、疲れたので、今日はここまで。 わたしの生業は、精神科開業医である。

          あの人2

          わたしは、人生のいろんなことを殆ど覚えていない人間なので、幼少期の記憶は、まず殆どない。ひとつだけ覚えているのは、自分の住んでいた団地(間取りは、もう少し後で書きます)の、階段の下から、すこし彼方の新幹線の高架線路を走る、初代新幹線の姿である。いま、書いていて思い出した。わたしの住居は4階だったから、新幹線の工事を見ていたのも、思い出した。新幹線開通の日のことも、覚えている。なんだ、いっぱい覚えてるじゃないか。自宅から見ていて、東京からのひかり号が行ったな、と思ったら暫くして

          あるアレンジメント

          あるアレンジメント

          あの人

          大昔、小説を書こうとする人の、大部分の人には、私小説(わたくししょうせつ)に対する抵抗があった、と思う。ここまでで、よむのをやめた人は、結構。めんどくさいので、いちいち説明しないので、わかる人だけついて来てください。 つまり、これからわたしが書くのは、固有名詞は変えてあるが、極一部のフィクションを除いて、ほとんどノンフィクションの世界です。ただし、後にも述べるが、法律に触れることは出来ないので、そこはご容赦ねがいたい。 わたし、福田和夫は、今から約60年前、大阪市内でも有数の

          あの人