煙草の税金が値上がりした事に「ザマア!」と喜んでいた人々も、まさかその増税の波が自分の生活に直結する他のものにまで及ぶとは思っていなかった事でしょうね?
タイトルは主幹の内容ではありませんが、「あるムーブメントを肯定していたらそのムーブメントが望ましくないところにまで波及した」いい例なので持ってきました。
この記事内のどっかのコピペです。元のタイトルよりパンチ効くなあって。
「○○さんは〜〜なので悪い奴だ」(浅慮)
「☆★さんは〜〜だよね」(決めつけ行為による人格像の間接的な否定)
「私は〜〜なのであなたに勝っている」(マウント行為による相手の否定)
上二つに関しては大いに結構かと思われます。一人の個人と一人の個人の間のみに留まる話で、現実にハラスメント行為やみっともないいじめに繋がるような事がないのであれば、です。
三番目は第三者から見て幼い印象がつくのでお勧めしません。
あと生きるので手一杯な中で競争行為をスタンダード化させる動きを取らないで下さい、構ってる暇がないです。
で、仮に上のようなものが「当たり前で普通のこと」と化した時にある恐ろしい事が起きるよというのがこの記事の主幹の内容です。
それは人から人に否定行為が拡散されていく事による、「じゃあアレも駄目だよね」「これも駄目だよね」といったような否定行為の拡散です。内容が拡散されていくよりも、習慣自体が拡散されていく強度の方が高いって知ってましたか。ヒトの習性です。
これ、社会主義国家とか共産主義国家、軍国主義諸々の「団体行動を正義とする社会的な動き」にある一定以上の強度の傾倒を見せた国に起こりがちなんですよね。まさしく、ちょっとしたなんでもないことで「赤がいたぞ!!」と始まるアレです。
村社会って言われる界隈、村長的な立ち位置の人が大体これやってませんか?
今の我々から見てあの図、どう映りますか?「事実の確認も何も無しに猿が何か決めつけて喚き始めたな」程度にしか見えなくないですか。まあその猿なりには何かを確認して一生懸命社会的な役割を果たそうとしているんでしょうけども。私は猿を否定しません。その猿も適材適所といったもので、適切な場所に置けば役に立つでしょう。声がデカいからって村長の位置に立つのを許しているからロスが出ているだけで。
高度な発達をした社会が[なんらかの事態に直面した時]試されるのは、上のような「赤がいたぞ!!」と叫ぶ行為とそれに応えて排除するまでの速度なのでしょうか。
私が思うに、高度化した社会で行われるべきは事実の再確認、内容の分解とそれに係わる人物の責任の比重の推論、情状酌量の余地の推定、余罪の確認、他の第三者の有無の確認と現実的な着地地点の打ち出しであって、そこで試されるのはヒエラルキーやカーストによる感情を徹底無視出来るような正確性のレベルかと思われます。「赤がいたぞ!」と大きな声でラベリングして攻撃するのはあまりにも原始的なやり方が過ぎるのではないでしょうか。それが生むロスについて、今まで何度も生まれてきた実例を考慮に挙げられない馬鹿なのでしょうか。各個人の正義感は、浅い判断によって無駄に行使されてしまい、のちのロスを生むために存在するわけではないでしょう。
緊急性を求められる現場ならともかく、そうではないところでこれをする人に関して思うのは、その人が何を学んできたのか、そもそもその人にも平等にこの点の教養を得て学ぶ機会は与えられてきたのかという事
です。
これを考えた時、広い情報ライブラリに携帯端末でアクセス出来る今の時代ですらままならないのにも関わらず、我が曾祖父並びに同職務に就いていた人々は、古い時代によく裁判官なんかやれたと思います。今よりももっと複雑な思考処理に対する抵抗値が高い、社会全体のプロセッサ的側面が馬鹿な時代にまっとうするにはドギツい職務だった事でしょう。そら免疫も弱って早死にします。結核ドンマイです。
情報ライブラリがすぐ手元にあるのに使わないのは損です。
思慮不足のもとに為される否定系の行いが一つのコミュニティから他のコミュニティへ、人を介して少しずつスタンダード化されその動きが拡散する様子を、巡り巡ってさまざまなものが言葉狩りや刀狩のように摘まれていく事を想像して下さい。
煙草の税金が値上がりした事に「ザマア!」と喜んでいた人々も、まさかその増税の波が自分の生活に直結する他のものにまで及ぶとは思っていなかった事でしょうね?
1に及ぶものは全に及ぶ。
波の観測結果として、量子物理学でも出てきます。
水面を見ててもわかる筈です。
こういった形で各挙動は物理的効果を介して自分のところに巡り巡って返ってきているのが物事の定石です。遅かれ早かれの違いがあるだけで。
子供がいる人なのであれば、自分が起こした、或いは加速させたそれが、子供のところに更に大きくなったその理不尽が巡ってくる事を想像して下さい。あなたその責任とれますか?
あなたの子供あるいは後の世代になんて謝るんですか?あなたなんのために生まれてきたんですか?
子供でなくともあなたの大事な人のところにそれが巡ってくる事もあります。
馬鹿なムーブメントを標準化させるために生まれてきたんですかね。
そうではないでしょう。
学習が出来ないままその無知の愚かさを伝播させていき今後の社会の持続性を弱らせるのであれば、その者の存在価値もまたその分弱ると思います。
ねえ、今の成人のZ世代より上って「自分達の学生時代にLINEがなくてよかった」とか言ってますけど、それ我々がネットワークの不健全な普及を甘く見過ごしてきたからこうなったんですよね。謝って彼らの世代のために別の形に作り替えていく必要がある事を何「良かった」で済ませてるんですかね。
場合によっては取り返しのつかない心の傷がついたり事件に巻き込まれたりして、一生を棒に振るう子も出る事じゃないですか?何が「自分達じゃなくて良かった」などと。
我々も立派に同じ世界を生きる延長線の範疇ですよ?さあ関係ない顔してないで身近な出来るところから是正していきましょうか。我々世代も立派な当事者です。
逃げ切り世代とか言ってる連中、勿論お前らもですよ。
なんか一旦落ち着いちゃったんでここで公開します。続きはまたのちほど
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