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ジンるいし:早朝
「春はまだかしら」
一人の女性が、ゆっくりと尋ねた。その人は、ついこの間まで盲目であった。しかし、ある時、目が見えるようになったそうである。
「まだですねえ」
僕も、ゆっくりと答える。
「今まで、春が来たことはありますか?」
僕は、少し迷って、
「ありません。本当の春は、まだありません」
「それは、どうして?」
彼女がこちらを見た。
「春は、完成し得ないのですよ。我々は、辛い。絶対に完成し得ないものだと知っているから。しかし、春を求めもがくことが、春を完成させるためには不可欠なんです」
「おかしなことを言うのね」
彼女の横には、桜の木があった。その枝はつぼみを多く孕ませ、開く時を待っている。時々、風に揺れた。
「桜の見頃は一瞬でしょう。昨日までつぼみだったものがもう咲いていて、しかし翌日にはなんだか開ききってしまっている。桜の見頃というのは、本当はないと言っても良いくらい、一瞬なんですよ」
「そう」
彼女の顔は、少しほころんだ。「だから春は完成し得ないのね」
僕は、黙って桜を見た。相変わらず、そのつぼみが開く時を、今か今かと待っている。
「私はね」
彼女は、桜を見て、懐かしむような顔をした。
「私は、この桜を二千年ちかく見ているのよ」
「桜が咲いているのを見た事はありますか?」
「いいえ」 彼女は首を横に振った。「この桜が咲くのは、本当に難しいことなのね」
僕は、頷いた。
「きっと桜が咲いたら綺麗ですよ」
「綺麗でしょうねえ」
「しかし、……恐らく無理でしょう。なにせ、咲いたとしても見頃は一瞬ですから」
桜の下には、プラハの春と題された本がある。
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