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どうして文章が書けないのか

この記事では、以前『文章力UP』をテーマにしたセミナーを受講した時に、個人的に「そうそうそう!」と共感した内容ついてシェアします

「完璧」であることにこだわりすぎる

「完璧に整えた文章じゃないと人前に出すのが恥ずかしい」「ブログをアップするのはもうちょっと自信がついてからにしよう」、そういって後回しにしてしまうことってありませんか?

でも、それはちょっと考えすぎかも。
あなた自身は人が書いたブログや記事を読むときに、そんなに「完璧」を求めているでしょうか?

SNSなどでバズる文章や、人気を集めているインフルエンサーは、発信している内容の正確さよりも、背景にある発信者の「思い」や「人柄」が強く共感を集めているものです。

たとえば、ビジネスシーンにおいても、完璧を求めるあまり締め切りギリギリに提出するよりも、6割程度の完成度でも積極的に共有していくほうが喜ばれる、なんてことがよくあります。第三者の目でフィードバックをもらって改善していく方が、結果的により高いクオリティに近づきます。

完璧さを求めるよりも、今の時点で自分が思っていることを出すことに重点を置く。その過程で成長していけばいいんです。

自分がいいと思ったものが、相手の求める内容と合致するとは限りません。発信者にとっては、ちょっと悲しい事実ですが(>_<)

わたしが見ているユーチューバーの方も、「自分で企画した動画よりも、視聴者さんからリクエストされた企画の方が再生数が多い」と言っていたことがあります。

役に立つか、見たいと思うかを決めるのは受け手側です。自分では当たり前に思って見逃しているような内容も、他者にとっては面白かったり役立ったりするものです。

SNSで人気がある人も、職場などで可愛がられるタイプの人も、人を巻き込む力に長けています。つまり、過程をみせて周囲を巻き込むことができる人が強いわけです。

思い付きの時点でアイディアを共有し、相手の反応を受けて形にしていく。
いわば相手との共同作業にしてしまう。『三人寄れば文殊の知恵』とことわざにある通り、携わる人間が増えるほど内容もブラッシュアップされやすくなります。

完璧さを追い求めすぎて、身動きがとれないと感じているなら、今できている段階でいいんだ、と発想を変えてみてください。

書く内容がいつも完璧である必要はありません。

一部が足りなかったり、抜けていたりするからこそ、力になってくれる人もいるものです。

ゼロから想定するハードルが高すぎる

文章が書けないと悩む人の中には、一度の行動ですべてを叶えようとし過ぎる傾向があります。

たとえば、ブログを立ち上げても、初めのうちは誰も読んでくれなかったり、全く反響がなかったりするものです。しかし、ブログを立ち上げて数記事書いたら、すぐに共感する読者がついて、PVが上がって、案件がきて…と、ここまで一足飛びに望んでしまう人がいます。

そして、「思ったような結果にならない」「自分には才能がない」とあきらめてしまう。まず想定するハードルが高すぎる、ということに気づきましょう。

まずは毎日投稿を目標にする、次は時間を決めて〇〇字書けるようになる、それができたら、読まれる文章を意識して書いてみる、という風に段階的にやっていけばいいんです。

とにかく、最初から背負い過ぎないこと。期待を大きくし過ぎるから、うまくいかなかったときのことを想像して踏み出せなくなってしまいます。

先ほども延べたように、「過程をみせていく」ことに重点をおいてみましょう。最初から完璧なブログじゃなくても、積み上げて成長していく過程をみせていけば、共感してくれるファンもいます。それ自体が、立派なコンテンツになるわけです。

繰り返しになりますが、自分が「完璧だ!」と思う内容が、相手にとってもそうだとは限りません。

途中でもいいから相手の目に触れる場所に出してみる。そうしたら「もっと、この部分を詳しく知りたいんだけど」と言ってくれる人が現れるかもしれない。

ひとりで考えることには限界があるので、できるだけ他者の視点でフィードバックをもらって改善する機会をもつようにしてみましょう。そのサイクルの中で、他者が求めるものが分かってくるはずです。

完璧主義は決して悪いことではありません。けれど、発信する場においては、たまには ほどほど に気軽にやってみませんか。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました♪


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