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『破邪の拳』第1話

あらすじ

 青馬文彦(20)は、(自称)伝説の最強武術〈破邪神拳〉の正統後継者である。彼は現在、免許皆伝を得るための〈三七の試練〉に全身全霊で挑んでいた。だが世間的には実家に寄生するただのニートでしかない。毎日のように、さっさと就職してお金を稼げと母親から愚痴をこぼされる有様だ。
 そんなとき、伝説の地下格闘技トーナメント〈天下一闘技会〉が開催されるという話を耳にする。母親の愚痴を回避するため、文彦は優勝賞金目当てで意気揚々と大会に参加するのだが・・・

人物表(第1話)

青馬文彦(20)伝説の最強暗殺武術〈破邪神拳〉の後継者。世間的にはただのニート 
竹國無蔵(65)文彦の師匠 。実業家だった父親のおかげで家は大金持ち。外見は師匠然としているが人生をお気楽に生きている。実力は不明
青馬厚子(46)文彦の母親 。就職しない息子に愚痴を言うのが日課。噂話と朝ドラが好き
木下幸吉(28)文彦をつけ狙う口だけの武道家。神様(しんよう)流柔術拳法初段にして天然無敵流武器術茶帯 
根岸学(31)リングネームはザ・ワン。天才化学者で根岸薬品研究所の所長。凄まじいマッチョ体型だが体育会系の人間を憎悪している。かつての文彦の道場の先輩 
斎藤亮介(28)根岸の助手。軽薄なチャラ男


本文

ニート武道家の就活と天下一闘技会

 一面の野原。
 空には不穏な暗雲が垂れこめ、風がヒューと小さな音を立てている。
 青馬文彦あおまふみひこは、両腕で開手の構えをとったまま微動だにしない。
 大男ではないが、その身体は鍛え抜かれて一グラムの脂肪さえないようだ。身につけているノースリーブの草色の道着には、〝破邪神拳はじゃしんけん〟の文字が刺繍されている。

「フゥ・・」

 わずかに息は荒く、疲労の色が見える。
 右の頬には打撲の痣があり、左のこめかみからは血が滲み出ている。
 だが文彦はけっして気を緩めない。
 その精悍な顔つきで、眼前の敵を鋭く睨みつけている。                                       

 ジーージーージーー                                       

 対峙しているのは、〝鉄人〟と呼ばれる精巧な武闘人形だ。
 身長190センチ強。武骨な甲冑のようなデザインだが、シルエットはドラム缶のようにずんぐりとしている。腰の左側には大きなネジ巻きが付いていて、ジージーというゼンマイ音を響かせながらゆっくりと回転している。  
 ブリキ製のボディはところどころ凹んでおり、文彦との長い死闘を物語っている。                                     

 ジーージーージーー                                       

 文彦と鉄人は、睨みあったまま一歩も動かない。
 いや、動けないのか?
 人間と機械ながら、武道家同士の決闘のような緊迫感。
「耐えろ、文彦・・!」
 少し離れた場所に、この闘いを静かに見守っている黒袴姿の老人がいる。  
 文彦の師匠、竹國無蔵たけくにむぞうだ。
 禿げた頭に、白い口髭と顎鬚。威厳のある枯れた佇まい。まさに武道の達人を絵に描いたような人物だ。
「!」
 文彦の顔に緊張が走る。
 先に仕掛けたのは鉄人である。
 ズーン!ズーン!と文彦にむかっていき、パンチとキックの連続攻撃。  
 スピードはなく鈍重な動きだが、いかにも重く威力がありそうだ。
 文彦は巧みな身のこなしで、それらの攻撃をかわしていく。
「今だ!」
 一瞬の隙をついて鉄人に組みつき、〝破邪河津掛はじゃかわづがけ〟をしかける。
破邪河津掛はじゃかわづがけ!」
 そのまま〝破邪河津落はじゃかわづおとし〟で、自分もろとも後方にひっくりかえす。  
破邪河津落はじゃかわづおとし!」                                     

 ドスーンッ!!                                       

 仰向けに倒された鉄人は起きあがろうとするも、ボディが重くて太い手足をバタつかせるだけである。                                       

 ジーージーージジッ                                       

 回転していたネジがついに最後まで巻き上がり、鉄人はピタッと動きを止める。
「やった・・!」
 文彦は達成感で思わず天を仰ぐ。
「よくやった、文彦。見事であったぞ」
 歩み寄ってきた無蔵が、いかにも師匠然とした感じで褒めたたえる。
「ありがとうございます!」
「ついに二八番目の〈鉄人の試練〉も突破したな。残り九つの試練も破邪魂で頑張れ」
「はい。粉骨砕身して死ぬ気で挑みます!」

 ありふれた郊外住宅地にある月並みな一戸建て住居。青馬家。
 そのダイニングにて。
 文彦はテーブルで、朝食のコーンフレークをボソボソと食べている。
 母親の青馬厚子あおまあつこもおなじテーブルで、ナッツ類をつまみながらスーパーのチラシを眺めている。
「ミルクが足りないな」
 文彦は牛乳パックを手にして皿に注ぐも、勢いが強すぎて跳ね返ってしまい、自分のパジャマ(パチモンのピーターラビット柄)にミルクがかかってしまう。
「・・・」
 鉄人を倒したときの精悍さとは大違いの、ふだんの緩みきった体たらく。 
 厚子はあてつけで嫌味っぽく、
「石田さんとこの上の子、中学のときあんたと同じクラスだった。浪人して慶応に合格したんだってね」
「ふうん・・」
 目も合わせず、てきとうにあいづち。
「二丁目の森さんとこの子は、公務員の試験に合格したんだって。あの太ったちぢれっ毛の子」
「へえ・・」
「偉いわね。よその子はみんなしっかりしてるわ」
 文彦はさすがにムッとして、
「おれだって破邪神拳十段だし、〈三七の試練〉を終えたら免許皆伝をもらえるし」
「その資格をもってると就職に有利になるの?」
「いや、べつに就職とかには・・」
「それじゃあ、意味ないじゃない」
「千年を超える影の歴史を誇る天下無双の神技を受け継ぐという至上の名誉を──」
「あんた、そんな役に立たない運動ばっかりに熱中して、いったいいつになったら就職するの?」
 文彦はバツが悪そうに、
「それはだから、もうちょっと待ってって言ってるだろ。試練もまだけっこう残ってるし・・」
「ちょっと待っててって、ずっとそればっかりじゃない。いい年した息子がいつまでも無職の扶養家族なんて母さん恥ずかしいわ」
 文彦は死んだ目をして聞き流している。
「ニート? パラサイトだっけ? お父さんは毎日遅くまで残業してるのに、あんたは家に一銭も入れないんだから」
 掛け時計が目に入り、
「あら、もう8時になるわ。『あまさん先生』見ないと」
 とたんに機嫌がよくなって隣りの居間に入り、テレビをつける。
 文彦はホッと安堵し、またコーンフレークをボソボソと食べはじめる。
「そうだ」
 そこでふと思い出し、
「ピー太郎の餌代と、あとスニーカーに穴があいたからお金がいるんだけど。一万円くらい」
「ダメよ。お父さんと相談して、お小遣いはもうあげないことにしたから」「ああ、そう。じゃあいい」
 あっさりと納得する。
「言っとくけど、お父さんのズボンの財布から、勝手にお金抜き取ってるの知ってるんだからね」
 文彦はギクッとした顔。図星である。
「もう財布は隠すことにしたから」
「・・・」
 苦々しい顔で黙りこむ。
              

 竹國邸。
 武家屋敷のような立派な御屋敷である。
 裏庭は趣きのある日本庭園になっており、そこに時代錯誤といえるほどの伝統的な造りの武術道場がある。
 昔ながらの一枚板の看板には、筆書きされた〈破邪神拳道場〉の文字。
 道場の中では、無蔵と文彦の師弟があらたまった雰囲気で対座していた。「稽古日でもないのに申しわけありません」
 ちなみに壁の名札掛けには、無蔵〈師範〉のものと文彦〈十段〉のものと二枚しか名札が掛かっていない。
 文彦は慇懃な態度で、
「幼き頃より、自分はわき目もふらずに修業に邁進してまいりました。破邪神拳を極め、天下に並ぶ者なき武術家となることだけが夢でした。それはいまも揺るぎありません。ですが両親の負担を考えれば、修行の道半ばながら、そろそろ自分で生計を立てることも考えるべきかと思い至りまして」「ふむ。それもしかたあるまい。仕事との二足の草鞋でも修業は続けられよう」
 あいかわらず無蔵は、威厳があって師匠然としている。
「今日、相談に伺ったのはそのことなんです」
「ほう」
「なにか、破邪神拳のスキルを活かせるような仕事はないでしょうか?」「無茶をいうな。破邪神拳は暗殺術なんじゃぞ」
「はあ」
「日本は法治国家じゃからな」
「やはりダメですか……」
「若くして事業に成功した、わしの父であり師でもある吉蔵も、〝今どき暗殺術とか使い道ないだろ〟と言ってたらしいが、それでも〝一子相伝で何代も続いてるのを自分の代でなくすのもなあ〟と考えなおして、いちおう息子であるわしに継承させたのじゃ。〝面倒くさかったらおまえの代でやめてもいいよ〟ともいわれたが、趣味で近所の子供に教えてたら、たまたまおまえがやる気だしたから後継者にしたが」
 無蔵はさらっと破邪神拳継承秘話を語る。
「はい、感謝しております」
「それで、どうするんじゃ?」
「しかたありません。一般の仕事をさがすことにします」
「そうか。それはそれで大変そうじゃな。わしは家が金持ちで一度も働いたことがないからよくわからんが。まあ、破邪神拳魂で頑張れ」


「ふ~ん」
 文彦は自宅の近所の路地で、歩きスマホをしている。
 画面には、求人サイトのトップページ。
「本屋に就職情報誌がないと思ったら、これで仕事を探せるのか。最近は便利なものだな」
 クリックして、会員登録画面に。
 名前や住所や学歴など、個人情報を入力する項目がズラッと並んでいる。「・・めんどくさ」
 たちまち挫折する。
「べつに今日でなくてもいいか」
 スマホをポケットに押し込んだ次の瞬間、
「!」
 気配に気づいて振りむく。
 木下幸男きのしたさちおが、水滸伝にも登場する巨大な金瓜錘きんかすい(球状の金属に短柄をつけた打撃武器)を振りかざして襲ってくる。
「ウォーッッ!!」
 気合いは凄いが、残念ながら技術的には稚拙だ。武器が重すぎて足元がふらついている。
「またおまえか」
 文彦は軽くかわしてつかんで投げ倒し、正拳をコンッとアゴに打ち落とす。
「ぐっ・・」
 木下は不甲斐なく気絶する。                             

 近所の児童公園。
 文彦と木下は、ならんでベンチに腰掛けている。
 木下は殴られたアゴを苦い顔でさすっているが、たいしたことはなさそうだ。
 芝居がかった大仰な物言いで、
「青馬文彦よ、事があと先になったがおまえに挑戦する! 武道家なら不意打ちも卑怯とは言わせない」
「前は鎖鎌だったっけ? 武器を変えても襲い方がいっしょじゃ意味ない」「神様しんよう流柔術拳法初段にして天然無敵てんねんむてき流武器術茶帯でもある俺の挑戦を何度か退けたくらいで、自分が天下を取ったなどとおごるなよ。破邪神拳など、しょせんは井の中の蛙だ」
 文彦はムッとして、
「なにが言いたい? おれも師匠も、他流派に遅れをとったことは一度たりともないぞ」
 木下は厳粛な口調となり、
「まもなく天下一闘技会てんかいちとうぎかいが開催される」
「・・え?」
「だから、〈天下一闘技会〉が開催されるといったんだ」
「それって何十年かに一度だけやるっていう、あの伝説の大会のことか?」「歴史は神代の昔までさかのぼり、初代優勝者は日本書紀に登場するあの野見宿禰のみのすくねだという。かつては時の為政者の御前で堂々と試合を行っていたが、武器の使用以外すべて認められるという生死を賭けた闘いであるため、近代に入ると野蛮だと批判されるようになり、地下へ潜らざるをえなくなった──」
「ふんふん」
 文彦は熱心に聞き入っている。
「だがその内容は、いまだ〈天下一〉の看板に偽りなし。今大会も、国内外問わずそうそうたる武術家たちがすでに選抜されている」
「たしか優勝者には、莫大な褒美がもらえるんじゃなかったか?」
「優勝賞金は五百万円だそうだ」
「天下一のわりには生々しい額だな。でもそれだけあれば、お母さんに文句を言われずにすむぞ」
 木下は軽蔑のまなざしで、
「ふん、なさけない。武道家としての名誉より金が大事か。その様子だと、おまえのところにも招待状はとどいていないようだな」
「へ? 招待状?」
「天下一候補に選ばれたなら、すでに大会の招待状が届いてるはずだ」  
                             

 青馬家の居間。
「この子も、ぷくぷく太っちゃったわねえ」
 厚子はぼりぼりと煎餅をかじりながら、まったりとテレビのワイドショーを見ている。
「もう三十なの? 昔はかわいかったけど」
 そこへ文彦が、早足でずかずかと入ってくる。
 手紙入れを壁からはずすと、バサバサと中身を床にぶちまけていく。
「なにしてんの! 散らかさないで!」
 イラ立つ厚子を無視して、文彦は手紙類の宛名を一枚一枚せわしなく確認していく。
「ない、ない、ない!」
 結局、招待状は見つけられなかった。
「くそ! 屈辱だ!」
 文彦は歯がみして悔しがる。   
                            

 その日の晩。
 二階の自室にて。
 文彦はベッドに腰かけ、スマホで電話をかけている。
「おれだ。青馬だけど」
 ミニウサギのピー太郎はベッドの上で走り回ったり、文彦の腕にじゃれついたりしている。
「何の用だ?」
 通話の相手は木下だ。
「例の大会のことだけど、参戦する方法はほかにないのか?」
「ほんとか?」
「予選の日時は今月の7日だ」
「そうか!」
 壁に掛けてある〈ウサギぴょんぴょん月めくり〉カレンダーで、すぐに確認する。
「あれ?」
 よく考えたら、今日はすでに20日である。
「もう過ぎてるだろ!」
「あわてるな、第二回がある。二日後だ」

 某小学校のグラウンド。
 休日で、生徒の姿は見えない。
 直径20メートルほどの円形のリングが特設してある。外周のロープはない。
 リング上には、すでに15人ほどの選手がのぼっている。みんなそれぞれ、軽く体を動かしたりしながら試合開始を静かに待っている。
 柔道や相撲、アマレスやボクシングなどスタイルはさまざまだ。いずれも気合いの入った顔つきの筋骨逞しい男たちばかりである。
 その中には、破邪神拳の道着をまとった文彦の姿もあった。
「人気プロレスラーにボクシングの元世界王者。予選でこの顔触れか」
 選手たちを見回して感心している。
 ひときわ巨漢の力士が目に入り、
「魁王丸! すごい、現役の横綱まで・・!」
 思わず驚きの声をあげる。
 だがすぐに余裕の笑みを浮かべ、
「だがしょせんは表の世界の選手だ。スポーツマンにすぎん」

 リングのそばには、運営スタッフ用のパイプテントが設置されている。〈大会運営委員会〉の腕章をつけたスタッフの中には、マイクを手にした司会役の姿もある。金髪オールバックでサングラスと黒スーツ姿だ。
 ピピピ……
 AM10時となり、折りたたみテーブルにおいてある時計のアラームが鳴る。
 司会役はリングのほうにむかって、
「みなさん、お待たせしました! これより〈天下一闘技会〉第二回予選試合を行います!」
 と景気よく宣言する。
「おっしゃ!」
「いっちょ、やったるか!」
 選手たちは、めいめい緊張感を高めていく。
「ルールを御説明します。ダウンかギブアップ、あるいはリングの外へ落ちたら即失格の時間無制限バトルロイヤル方式です。最後まで生き残った一人が勝者となります」
 審判もリングに駆けのぼり、無言でスタンバイする。
 緊迫した空気。
「それではスタート!」
 司会役の合図とともに、激闘の幕が切って落とされる。                                        

 バーン!
 ビュンビュン!
 バキッ!                                        

 一流ぞろいだけあってみなプライドが高く、一人に他勢の戦況にはあまりならない。ほとんどの選手が一対一のスタイルで闘っている。                                        

 ドタンッ!
 ボクッ!
 バババンッ!                                        

 審判はせわしなくリング内を駆け回っている。
 関節技を極められている選手のタップを確認したり、ダウンして動けなくなった選手を引きずってリング外へ投げ捨てたり。                                        

 魁王丸はさすがに圧倒的な強さだ。
 張り倒してダウンさせ、投げ飛ばして踏みつぶす。
 完全に無双している。
 文彦は試合開始早々、その魁王丸の背後にぴったりとくっついていた。
 完璧に動きをシンクロさせて死角をつくっているため、宿主の魁王丸は背後に寄生されていることにけっして気づかない。そのため他の選手が文彦を狙おうと近づいても、魁王丸は自分にむかってきたと勘違いして攻撃してしまうのだ。
破邪小判頂はじゃこばんいただき!」
 常に安全圏を確保する、これがバトルロイヤル形式で闘うときの破邪神拳の極意だった。                                        

 試合開始からおよそ30分。選手の数はどんどんへっていき、ついには残すところ三選手だけとなる。
 魁王丸と人気プロレスラー高山弘という巨漢同士の一騎打ちだ。
 先に魁王丸が突進して仕掛け、
 ドバンッ!
 と正面から組み合う。
 そして、
 ドドドーッッ!
 ともろ差しで怒涛の押し。
 さしもの高山もなすすべなく押し込まれていく。
 が、背後に張りついていた文彦が、押し出しで勝利目前の魁王丸の背中に体当たりして、二選手をまとめてリング外へ突き落とす。
「よっしゃ───っ!!」
 文彦は右腕を高々とあげて勝利宣言する。

 打ちっぱなしのゴルフ練習場。
 無蔵はゴルフクラブを手にしたまま、打席に備えつけの椅子に腰かけている。むろん、袴ではなくゴルフウェア姿だ。
「~というわけで、出場権を勝ち取りました!」
 文彦は息を弾ませている。予選が終わるやいなや駆けつけてきたのだ。
「ぜひ、大会の出場許可をください!」
「ふ~む、こんな大会がほんとにあったとはのう」
 無蔵にはそこまでの関心はなさそう。
「わが門下は原則他流試合は禁止。しかしこの大会だけは例外を認めてください!」文彦は熱く訴える。「破邪神拳が天下一であることに疑いの余地はありませんが、あらためてその古今無双の強さを世に知らしめるよい機会ではないでしょうか」
「わしは他流試合禁止の原則を生涯厳しく守ってきた。軽はずみに他流と拳を交え、血気にまかせて殺めてしまうことを避けるためだ」無蔵はいつもの師匠っぽい感じで、とうとうと語る。「だが後悔もある。もっと強い敵とも闘いたかったという。おまえはわしのぶんまで自由にするがよい」
「ありがとうございます!」文彦は深々と頭を下げる。「しかしこの大会はさすがに強豪ぞろい。もちろん万が一ですが、不覚をとる可能性も皆無ではありません。・・今のままでは」緊張で息を飲みながら、「無理は承知で特別に伝授していただきたいのです。正統後継者のみに伝えられる一子相伝の最終奥義〈破邪雷神拳はじゃらいじんけんを・・!」
「ん? わしはそんなの使えんぞ?」
「え? でも師匠は正統後継者では?」
「そうじゃが、あの技は特殊でよくわからなくてのう。親父もちゃんとはできてなかったみたいじゃし」
「そうですか・・」
 がっくりとうなだれる。
「それほど覚えたければ、奥義書を見て自主稽古すればよかろう」
「え、お貸しいただけるんですか? 自分はまだ免許皆伝しておりませんのに。秘中の秘である奥義書を」
「べつにかまうまい。文句いう奴もおらんし」
 椅子から立ち上がり、スイングマットの上でボールをセットしながら、「まあ、破邪魂で頑張ってこい。わしはその日は大事なゴルフコンペがあるから大会には行ってやれんが」

 街中にある三階建ての小さなビル。
 テレビCMでもおなじみの、〈カユミトメ~ル〉という塗り薬の大きな広告看板が出ている。
 正面出入り口のドアには、〈根岸薬品研究所〉というネームプレート。  
 その地下一階。
 どうやら研究室らしい。医療関連の最新機器がところせましとならんでいる。
 ベッド型の未来的な検査機器に、根岸学ねぎしまなぶが静かに目を閉じて仰向けに寝ている。
 パンツ一枚の身体には、コード付きパッドがびっしりと貼りつけられている。それにしても凄いマッチョ体型で見るからに強そうだ。
 ほどなくして検査機器パネルから、結果のデータがプリントアウトされる。
 だが助手の斎藤亮介さいとうりょうすけは携帯ゲームに夢中でまるで気づかない。
 根岸は目を閉じたまま、
「おい、もう終わりだろ!」
 イライラと怒鳴る。
「あ、うぃーす」
 斎藤はあせる様子もなく、携帯ゲーム片手に検査機器の電源をOFFにする。いちおう科学者の助手らしく白衣は着ているものの、どうにもチャラさは隠せない。
「検査終了でーす」
 根岸は目を開く。瞳が金色である。
 自分でパッドを取り外し、検査機器から下りる。
「結果はどうだ?」
 斎藤が手にしているプリントを奪い、自分で確認していく。
「筋力に変化はないっすね。でも副作用はちょっとヤバくないですか、これ」
「この程度なら想定内だ。投与してくれ」
「あ、はーい」
 薬品棚から、ラベルに〝US〟と書かれた薬瓶を取り出す。
 それを注射器に注入し、
「いくっすよ」
「ああ」
 根岸の太い腕に注射する。
 全身の筋肉が、グググッと音を立ててさらに強靭にパンプアップし、金色の瞳が不気味に光を帯びる。
 根岸は苦痛とも快楽ともつかない獣のような唸り声をあげ、
「わが肉体の咆哮を──」                                       

 パピンポパ♪ ピンピン♪ パピンポパー♪                                       

 机上のパソコンが、チャラそうなラップのメロディーを響かせる。「・・・」
「あ、メールだ」
 斎藤は新着メールを確認する。
 アラビア文字の文章。添付ファイルをクリックして開く。
 大きな画面で動画が再生される。
 *
 画面には、中近東系の三十男が二人映っている。
「ドクター根岸! 薬をわれわれに売れ!」
 神経質そうな男がカメラ目線で流暢な日本語でまくしたて、小太りの男がアタッシュケースに詰まった札束をカメラにむけている。どうやら神経質そうな男のほうが兄貴分で、小太りが弟分らしい。
「金なら用意してある! われわれと取引しろ!」
 兄貴分の男は札束をなんども指差してアピールしながら、さらに激しい調子でまくしたてる。
 *
「まーた、あいつらですよ。しつこいっすね」
「無視しろ。ウルトラ・ステロイドは売りもんじゃない」
 根岸は〝US〟の空瓶を手にして、
「これは格闘技の世界においても、科学こそが最強であることを証明するために開発したんだからな」
 根岸はパンチ力計測器のほうに近づいていく。
 ゲームセンターにある、パンチングマシンそっくりのデザインだ。
 構えさえとらずに、根岸は計測器のパッドをちょこんと軽く小突く。                                       

 ドガーーンッツ!                                       

[3000]kgという凄まじい数字が表示される。
 根岸は憎悪を込めて、
「〈天下一闘技会〉で優勝し、体力バカどもに復讐だ!」
 薬品棚の中には、〈天下一闘技会〉と書かれた招待状がたてかけてある。ぶっそうなことに、飛び散った血がべったりと付着している。
 さらに棚のそばの壁には、研究資料として根岸自身のウルトラ・ステロイド使用前使用後の写真が貼ってある。
 驚くべきことに使用前の写真は、ひ弱そのもののガリガリ体型である。





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