自分について

今回の記事では自分の過去を振り返ってどんな風に育ってきて今に至るのかを書いていけたらなと思います。


幼稚園

幼稚園に関してはほとんど記憶はありませんが、就活の際に親に聞いた内容と微かな記憶をつなぎ合わせて書いていきます。笑

親が言うには正義感が強く、当時の自分なりに考えて何が良くて何が悪いとかを考えようとしていたみたいです。戦隊ヒーローや仮面ライダーが大好きだったのはそういった所からあったのかなと思います。あとはニコニコしながらいつも楽しそうに過ごしてたみたいです。その割に泣いてた記憶も僕にはあるので、感情表現がはっきり豊かだった子だったと思います。
友達をつくるのは得意だったみたいで、入園初日に友達を作っていたみたいです。その日はその子の名前を覚えずに帰ってくるという奇天烈ムーブをかましていますが、、笑
そんなこんなで楽しく幼稚園での時間は過ごしていました。

小学生

小学生に入ってもあまり変わらず、毎日ニコニコしており、元気に校庭を走り回っていました。体を動かす事が好きだったので、通っていた小学校で週に一回開かれていた体操教室に通っていました。ここで体の動かし方を学んでたので、大きな怪我をしなかったのかなと思ったり思わなかったり。
小学校3年生までは学校に行き、家に帰ったら近くの公園で友達と遊ぶかポケモンをやるかみたいな生活を送っていました。また小学校2年生の時に大好きな先生と出会い、学校生活が一気に楽しくなった記憶があります。小さいながらに強い充実感があったのを今でも覚えています。

4年生からは近所の先輩に誘われ、隣の小学校のサッカーチームに入団します。今までの遊びだらけの生活から一転、サッカー漬けの毎日が始まりました。
小学生にも関わらず平日は3日、土日は試合と大忙しの毎日でした。また練習には自転車で行っており、めちゃくちゃしんどかった記憶があります。土日は両親が車を出して試合会場まで連れていってくれて、ご飯も用意してくれていたので、本当に頭が上がらないです。
こんな感じで小学校前半は学校の友達とひたすら遊び、後半はサッカー漬けの生活を送りながら過ごしていました。
しんどいながらも何かを頑張り続ける習慣や体力はここでついたんじゃないかと思ってます。

中学生

そのまま地元の中学校に進学。サッカーもそのまま続けました。ただ続けた場所は学校の部活だけではなく、地元の外部のクラブチームに所属する事にしました。
当時の自分としては学校の部活はどうも足りない感じがして、クラブチームに入団する事を決めました。そこでは小学生の時に出会う事のなかった自分より上手い人たちと出会う事になりました。また思春期真っ只中、一癖二癖のあるメンバーが集まっていたので、あまり馬の合わないメンバーもいたので、僕はそのメンバーからいじめを受ける事になります。
そのメンバーはいわゆる不良というか我の強いタイプの子でした。僕は当時も今もですが、そこまで自己主張ができるタイプではないので、嫌だなと思ってもなかなか主張できず、やられてばかりでした。たまに強く反抗もしてみるものの暴力でやり返され、僕としては殴られたくも殴りたくもないので、諦めていました。手を差し伸べてくれるメンバーもいましたが、環境を劇的に変える事はできず、クラブチームでの3年間はずっとしんどい時間を過ごしました。

学校生活はクラブチームでの影響も受けてか、楽しかった記憶はそれほどありませんでした。仲のいい友達があまりクラスが被らなかったこともあり、ずっと不満を抱えたままで、思春期特有の変な尖りもあって周りにあまり人がいませんでした。笑 
今となってはカッコ悪い事をしていたなと思います。
ただ逆に良かったのか、高校受験には集中できました。クラブチームから離れ、中3のクラスのメンバーは成績のいいクラスメイトが集まっていたので、勉強を教えてもらううちにのめり込んでいき、無事公立の志望校に合格します。

僕の中で中学校3年間はとにかく精神的にしんどい時間でした。今となってはこの3年間がしんどかったからこそ今の自分の糧になってるなと思えてるのでまあいっかとなってます。

高校生

しんどかった環境から抜け出した高校での生活は全体としては楽しい時間がほとんどでした。部活は変わらずサッカーを選び、毎日サッカーに明け暮れていました。一番サッカーの事を考えて上手くなった時間でした。
ただ最初の1年は周りのメンバーに埋もれ続け、全く試合に出れずしんどい時間を過ごしましたが、中学よりマシという考えで乗り越えてました。また似たような境遇のチームメイトもいたので、お互いに励まし合いながら頑張りました。2年生から徐々に試合に出れるようになり、3年生はレギュラーになり、一生ものの友達と出会い、恋愛も大いに楽しんでいました。とにかく最後の1年は楽しい事ばかりでまったく勉強などしていなかったので、ちゃんと大学受験に失敗して浪人することになります。

浪人

高校を卒業後、楽しみすぎたツケを払う1年がやってきます。
兵庫県の川西市にある塾で浪人生として面倒を見てもらう事になりました。
しかし最初から僕は高校生気分の抜けないダメダメ浪人生でした。

朝は10時に起き、YouTubeを見ながらゆっくり準備をし、12時ごろに塾に到着、そこから勉強し始めるという生活を2カ月ほど送っていました。テストの点数もひどく、1度塾長にガツンと怒られ、今の自分を見直しました。
お金を払ってもらい、時間を1年分猶予を作ってもらったのに、自分はいったい何をしているのか?社会に貢献できていない自分が存在価値を示し、親への合格までにできる恩返しは何なのか?

僕は数字を出す事という結論に至ります。

そこからは勉強時間にもテストの点数にも強くこだわるようになりました。
1日14時間半は勉強し、テストも過去の範囲のテストは最低でも80点以上、100点の過程と結果を求め続けました。
点と時間に追われる生活で、精神的に荒れたり、髪の毛の抜ける量が増える事はありましたが、その甲斐あって志望校を受験した日はすべて合格できました。

何度思い返しても、多方面で本当に多くの人に支えられて作られていた1年だったと身をもって感じます。いつだってそうですが、この1年はそれを特に実感する機会でした。

大学生

浪人の1年を経て、憧れていた大学生になれました。自分を救ってくれた塾に恩返しの意味も込めて塾でアルバイトをしています。他の教科よりも裁量が大きく、責任のある教科の担当を務めています。
大学自体は入学のタイミングでコロナが始まった事もあり、ほとんど友達ができず、楽しめませんでしたが、バイト仲間の多くが大学が一緒という事もあり、充実しています。

ここからの生活は本当に卒業を待つのみですが、社会人に向けてできる準備をしつつ最後の学生生活を謳歌していこうと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。少しでも僕の人となりが伝われば嬉しいです!

また次の記事で!

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