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母親との共依存 一人暮らしの話

 母は専業主婦だったこともあり、たぶん子育てが生き甲斐だった。父はいわゆるモラハラ夫で、肉体的暴力は私の知る限り振るったことはないが、母に対してひどい言葉を投げかけたり嫌な態度をとることが多い。それもあって、母は昔も今も私を心の拠り所にしている。
 母は優しすぎるほど優しくて、昔から私とは友達のように仲が良かった。私はもともと友達が少ない人間なので休日に遊びに出かけることも多くなくて、いつも母と買い物したりご飯を食べたりして過ごした。私は母が居なくなったら生きていけない、もし母が死んでしまったらどうしよう、と未来に怯えて泣くこともあった。
 小学生中学生の頃は通学が徒歩で、帰り道によく母が迎えに来ていた。テレホンカードを持たされていて、毎日必ず学校を出る前に「今から帰る」と電話しなくてはいけなかった。高校と大学は電車通学で、毎日必ず「今〇〇駅に着いた」「学校に着いた」「学校を出た」「今は〇〇のあたりを歩いている」と実況するようにメールしていた。それが普通だと思っていた。高校生の途中頃から、その過保護ぶりが普通ではないことに気付き窮屈に感じるようになり、メールの頻度を減らした。でも、全く送らないということはしなかった。

 ずっと、母は私が大事で仕方ないから、優しくして過保護に扱っていると思っていた。でも、たぶん違う。母は私に依存していて、私が離れることを恐れていたのだ。だから優しく優しく私を扱ったのだと思う。けれどそれは逆効果で、私はそんな母からの依存が恐ろしくなった。長年そんな関係性を続けてきた母へ自分もかなり依存していると気付き更に恐ろしくなった私は、逃げ出したくて仕方なくなった。

 また、私は家族と家に関して色々な問題を抱えていた。母は昔から片付けができない性格で家は常に半分ゴミ屋敷だった(父はそもそも家事をしない)。また、壊れたままの家電をそのまま放置するので、夏場なのに冷蔵庫もエアコンも使えなかった。25歳にもなって私には自分の部屋がなく寝るときは家族で川の字になってだった(父は別室だった)。他にもたくさんの理由が積み重なって、私は家を出たくてしょうがなかった。
 でも一番の理由は母だった。
 
 ある日、私は一人でアパートの部屋を契約した。
 まずインターネットで目星を付けた部屋の内見を予約し、資格勉強のためにカフェへ行くと言って外出し内見した(外出するときは目的と行き先と一緒に行く人を言わなければならなかったし、ただ買い物に行くと言えば母も必ずついてきた。一人になるためには、勉強を理由にする必要があった。勉強にもたまについてくることはあったけれど)。部屋は問題が無かったのでその場で申し込みし、数日後、いつも通り仕事へ行く様子で家を出て賃貸会社へ赴いた。会社には午前休を申請していた。さらに数日後、鍵を受け取って私は初めて自分の部屋を手に入れた。嬉しかった。自由を手に入れたと思った。その後数日はバレないように少しずつ服などを鞄に忍ばせながら勉強しにいくと外出して、私の部屋へ行き荷物を移動させた。その頃資格試験直前だったのは本当で、その部屋で数日間勉強し、一人を満喫した。
 そして、頃合いを見て「私この家出ていくから。もう部屋の契約もした」と切り出すと、母は泣いた。
 ただ、母は私が出ていく理由が自分だとは微塵も思っていない様子だった。家の惨状に我慢できなくなったから出ていくとだけしか思っていないようだった。本当にもう出ていくとなったとき、「なんでこんなことするの?」と泣いて聞かれたけれど、私は本当のことを言うことができなかった。「あなたから離れたいから。解放されたいから。」そう言ったら、母はショックを受けることがわかっていたから。何とも言えず、私もただ泣いて、「もう許してほしい」とだけ言った。

 私にとって、部屋を一人で契約してきて家出同然で一人暮らしを始めたことは大事件だった。常に人から言われることに従い、問題を起こさず、淡々と生きていた私にとってはものすごい思い切りだった。
 でも、私は甘いのだ。決めた部屋は実家から徒歩5分くらいの場所だった。これまで住んできた街が好きで生活スタイルを変えたくないからと自分に言い聞かせていたが、結局母から完全に離れる思い切りがつかなかったのだと思う。母に部屋の場所は頑なに教えなかったが、後をつけられて早いうちにバレてしまった。近い場所だったことに安堵したのか、母は帰ってこいとうるさく言ったり部屋に押しかけてきたりはしなかった。でも、平日は毎日のように会社の帰り道で待ち伏せされ、週末は一緒に出かけようと連絡してきた。私はそんな母をきっぱりと切ることができなかった。何だかんだで会社帰りに合流して数分だけの帰り道を一緒に帰り、週末も土日のどちらかは会った。そうしないと、母から「寂しい」「会いたい」と何通もLINEが来るから。
 一人暮らしを初めてから3年が経った今も、それはまだ続いている。LINEの返信頻度や週末会う回数を減らしたりしているが、共依存関係は変わっていないように思う。

 母から離れたい。でも離れられない。離れようとすると、途轍もない罪悪感に襲われてしまう。「会いたい」「毎日会いたい」「一緒に暮らしたい」というLINEが何通も何通も送られてきて、それが苦しくて無視すると自分がすごくひどいことをしている気持ちになる。モラハラ父と二人で暮らし、私を恋しく思いながら孤独を感じてこんなLINEを送っているのかと想像すると、可哀想になる。そんな母から私が完全に離れてしまったら、多分母は自死すると思う。病院にこそ行ったことはないが、もともと母は精神があまり強くない。母の精神を保つためには、私が必要なんじゃないか。でも母から離れたい。そのループにはまりまた苦しくなる。

 ここまで一度も登場していないが、実は私には歳の近い妹がいる。妹は気ままでマイペースで、昔からあまり母の相手をしない。とは言え、私の少し後に隣県で一人暮らしを始めた妹にも母からほぼ毎日電話がかかってくるらしい。それを聞くと妹もすごいなと思う。でも、母からの依存のベクトルが私へ強く向いているのは確かだ。私が母から離れるためには、妹にもう少し母の相手を請け負ってもらう必要があると私は思っている。父には全く望めないことだから。でもそうしたら、結局妹が苦しむことになるのだろうか。

 共依存関係を弱めるためにどのようにすればいいか、まだ私にはわからない。母との共依存という悩みを抱えている人をインターネットで探すと、親がひどい人間なことが多い。極端な門限や行動制限を設けて縛り付けたり、強く怒鳴りつけて服従させたりという話を目にする。でも、私の母はそんなことはないのだ。いわば、私が勝手に母の言うことを聞いてきただけ。学校から帰るときに電話しなくてもメールしなくても、多分大丈夫だった。むしろあのときそれらをしなければ、親離れ子離れができていたのかもしれない。本当に依存してしまっているのは私の方なのだ。母のことが大好きでずっと一緒にいたくて、でも離れたい。

 母との関係性はずっと前から悩んではいたことだけれど、最近深刻に考えているのは、私は海外に住みたいと思っているからだ。
 結婚を考えている彼はいま海外勤務をしていてあと3年は戻れない予定だ。今の国での任期が終わったとしても、次もまた海外勤務の可能性は高いと言う。私は今のところ英会話はできないし海外旅行の経験さえ3回しかないし、海外で暮らすのは絶対に大変だと思う。でも、今の自分を変えるためにも彼と暮らすためにも、海外へ行きたいという気持ちは少なからずある。それに何を隠そう、幼い頃から海外のアニメやドラマ、映画が大好きで小学生の頃から作文の将来の夢に海外移住と書いていたのだ。夢を叶えることにもなる。
 そこで一番私の心を引き止めるのが母なのだ。こんな近距離で暮らしていても毎日会いたい、寂しいと言う母に、海外へ住むなんて言えない。言ったらどうなってしまうかわからない、怖い。でも、これは私の人生なのだから私の好きなようにしていいはず。だけどやっぱり母から離れられない。母が悲しみ落ち込む様を想像するだけで苦しくてたまらない。またこのループだ。私はいつまでこのループを続けるつもりなのだろうか。どうしたらいいのだろうか。わからない。

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