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読書記録「推し、燃ゆ」


※本記事は、ネタバレを含みます。
 ネタバレしても大丈夫だよという方のみ、お読みください。



自立ってなんだろう

当書を読んで、自立ってなんだろうなと考えさせられました。そして、上記の記事を思い出しました。それは、自立は、依存先を増やすことであるという考え方です。

主人公のあかりは、「推し」と「推し活を通して得た仲間」に依存しています。推しがいなくなれば仲間も失ってしまう。ただ推し活で繋がっている関係だと、あかりは考えています。

途中読んでいて苦しいなと感じた場面があります。推しの誕生日を祝うために、推しの似顔絵が書かれたホールケーキを無理をしながら食べる場面です。ホールケーキを一人で食べることは、あまりないことですよね。みんなで切り分けて食べるケーキを、無理をしながら一人で食べる・・。推し活に人生を注いでいる主人公の凄まじさを感じた瞬間あり、あかりがどれだけ孤独であるかということを感じた瞬間でもありました。

普通に 生きられないことへの もどかしさ

あかりは、自分が普通に生きられていないことに、もどかしさを感じているのではと思いました。小学校時代、何度も何度も漢字テストのやり直しをしたこと。姉は九九をすんなり覚えられたのに、自分は覚えられない。ほかの人があたりまえにやっているように思うことができない。その苦しみを、親が理解してくれない・・

このような、普通に生きられないことへのもどかしさを感じながら、それでも生きていくために必要な存在が推しだったのではないでしょうか。

終わりに

教員という立場で当書を読み返したとき、主人公には周囲のサポートが必要だったんだろうなと思いました。

第4期教育基本計画では、日本社会に根差したウェルビーイングの向上の必要性が述べられています。日本の社会・文化的背景を踏まえ、自己肯定感などの獲得的な要素と、人とのつながりや利他性などの協調的な要素を調和的・一体的に育むことで、ウェルビーイングを向上させることができるのではないかと提案されています。

「推し、燃ゆ」は、小説のなかだけの話ではないはずです。よい教育ってなんだろうと考えるうえで、多くの示唆を与えるものではないでしょうか。


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