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ジナイーダ・ギッピウスより2編の詩

ジナイーダ・ギッピウス (1869-1945)

ジナイーダ・ギッピウス、詩人、劇作家、小説家。夫のディミトリー・メレシュコフスキーと共にロシア象徴主義の代表的人物、サロンの主催者。

悪魔の子供

私は悪魔の子供に出会った
体は人間の子供くらい。
痩せていて骨ばっているさまはまるで蚊、
彼の顔は鋭利で、内気で、老いている。

彼は雨の中で体を震わせていた、
彼の体毛は暗く逆立っていた。
それは痛ましい光景だった、私は不安になった
この悪魔の子が死ぬのではないのかと。

「愛して!愛して!」私の周囲一帯に声が響きわたる。
けれど声の主は私からは見えないところに行ってしまった。
だが時たま私を憐れみにとらわれることがある、
それゆえに私は小さな化け物を追いかけた。

「おいで、おいで、おいで、暖かなこちらへ。
なせ路地をぶらついているの?
いけないわ、毛を逆立てないで、逃げていかないで—
さあ私はあなたに角砂糖をあげましょう。」

「砂糖!」彼はわめいた。「馬鹿にするな。
ぼくはスープも飲むし、子牛の肉料理も食べるぞ。
それが用意できるならぼくはお前のとこに行ってやる。
ぼくが食べるのは上級の肉だぞ。」

彼の声は朗々として反響する
—勇ましく、ぞんざいな低音だ。
それはあまりにも猥雑で
場違いによく響いた。

彼の怒鳴り声は私をたじろがせた—
私はただ彼を助けたかっただけだ。
だから私はこの悪魔の餓鬼から
遠ざかることにした。

彼は自身の小さな顔に皺を寄せた、
彼は力のないうめき声を発した。
私はまた違う憐れみが自身をとらえるのを感じた—
かくして悪魔の子を家へと連れて帰った。

私は彼をランプで照らして見つめてみた、
卑しさが入り混じり、年老いた子どもを。
「ぼくって素敵だよね」、私は彼がそう言うのを聞いた、
私は彼のなすに任せ、彼を受け入れていくことにした。

すぐに私は悪魔の子と一緒に
暮らすことに馴染んでいった。
彼は昼には山羊のようにふざけまわっていた、
彼は夜には死んだようになっていた。

今や彼は男のように気取って歩いている、
今や彼は女のように何か企んでいる、
雨が降ると、彼は犬の匂いがした
そして暖炉の横で自身の毛皮を舐めるのだ。

何年も、私はあれこれを望んでいた、
だが私が何を手に入れようと、それが満たされることはなかった。
けれど今、私の家は、産毛が生え揃っていくかのように
生き返ろうとしていた。

何もかもが退屈、けれどこれでいい、
暗闇にある温もりと静けさ。
悪魔の子と暮らすけだるい心地よさ。
子供なのか老人なのか—私は何を気にしていたのだろう。

彼は腐っていくマッシュルームみたい—
より柔らかく、より脆く、より病気がちに、
病気の心地よさとひどいベタつき
くっついて、くっついて、くっついて…

ついに私たちは二人ではなく一人になった。
今、私は彼の心臓の一部になっている。
そして雨の日に私からは犬の匂いがして
私は暖炉の横で自身の毛皮を舐める。
                   (1906)

私たちは何をしてきたのか?

私たちの祖父の異様な夢の、
私たちの英雄たちの牢獄の年月の、
私たちの嘆きと希望の、
私たちが決して表立って口にはしてこなかった祈りの—
私たちの失敗し破壊された
憲法制定議会
                    (1917.11.12)

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