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『孝元天皇が物部氏と連携』⑤大綜麻杵と忌部

以前の「五所神社(瑜伽神社)」の記事で、物部氏の祖である大綜麻杵を追っていたら「忌部氏の祖」である「天太玉」の名が登場してきました。こちらの伏線回収ができていませんでしたの少し考察していきたいと思います。

<大綜麻杵(おおへそき)について>

『日本書紀』によれば、大綜麻杵は崇神天皇紀に崇神天皇の母・伊香色謎命の父として記載されているが、他に特記すべき情報はない。
 大綜麻杵の妻の名は「高屋阿波良姫」と伝承されている。

<五所神社(瑜伽神社)>

物部の祖とされる【大綜麻杵(おおへそき)】に似た名前【大麻綜杵(おおへつき)】を祀る神社。さらに、この【大麻綜杵(おおへつき)】の母が「伊迦賀色許売命」となっていました。物部一族とのつながりを感じさせる神社です。

<図解していきます>

[1]まずは、記紀の記載から。
伊香色謎命 (伊賀迦色許売)は孝元天皇(8代)と彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を授かります。
その後、伊香色謎命 (伊賀迦色許売)は開化天皇(9代)との間に崇神天皇(10代)をもうけた事となっています。 

記紀での関係図

[2]次に、瑜伽神社の石碑をそのまま読み解いてみます。

大麻綜杵命は 崇神天皇の第3皇子と伝承されている
瑜伽神社の石碑

[3]次に、瑜伽神社の境内にある新しい由緒書き(板)をそのまま読み解いてみます。

 ここには以下のような内容が記載されている。
『崇神天皇の第三皇子に座して、「大麻綜杵命」(おおへつき)天太玉命(布刀玉命・ふとたまのみこと・忌部の祖神)の御孫なり。御母后は、伊香色許売命(いかがしこめのみこと:崇神天皇の生母)とも申し祀る』

瑜伽神社の境内にある新しい由緒書き(板)にある関係図

 ここには気になる点が2つある。
《1》『日本書紀』では、伊香色許売命 (伊香色謎命・伊賀迦色許売命・いかがしこめ)の父親は、「大綜麻杵」(おおへそき)となっている。
 その位置が、この神社の伝承では、「天太玉命(布刀玉命)」となっている。

《2》「崇神天皇」が「母后」である「伊香色許売命(いかがしこめ)」との間に子をもうけている。それが「大麻綜杵命」(おおへつき)とされている。

瑜伽神社の境内にある新しい由緒書き(板)


[4]次に阿波国風土記 関連の古書を抜粋。
『麻植塚村の「綜麻杵神社」は、伊香色雄命の親神を祀っている』とある。

出典はこちら https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100334853/
 p88

ここ徳島(阿波)の伝承では、「伊香色謎(伊香色許売・いかがしこめ)」の父親は、「大綜麻杵命(おおへそき)」と呼ばれることもあれば、「天太玉命(ふとだま)」として扱われていることがあるということが見えてきました。


[5]書籍情報より
 『日本の建国と阿波忌部 : 麻殖郡の足跡と共に』(林博章 編著)によれば、『麻植郡郷土誌』のなかに、以下のような逸文があると紹介されています。

 《阿波風土記曰く、天富命は、忌部太玉命の孫にして十代崇神天皇第二王子なり、母は伊香色謎(いかがしこめ)命にして大麻綜杵(おおへつき)命の娘なり。大麻綜杵命(おおへつき)と呼びにくき故、麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う》

 ※残念ながら、この内容が書かれている『麻植郡郷土誌』や『阿波風土記』を、私自身はまだ直接確認できていません。

書籍の内容を関係性をそのまま図解

<ちょっと考察します>

やはり「崇神天皇(10代)」が「母后」である「伊香色許売命(いかがしこめ)」と婚姻関係を持ち、子を得ることは無理があるように思います。
 そのため、「崇神天皇(10代)」の箇所は、「日本書紀」に合わせて「開化天皇(9代)」を読み替えた方がスムーズのように考えます。

総合的に解釈して、このような系図を推定しました。


  五所神社の由緒書きなどで、「大麻綜杵(おおへつき)」は「伊香色謎(いかがしこめ)命」の親でなく、「伊香色謎(いかがしこめ)命」の子とされていました。 日本書紀の記載などを考慮すると、「伊香色謎(いかがしこめ)命」の親であるとしたほうが納得性が上がります。

 また、以前の記事でも紹介したのですが、出雲口伝関連書籍によると、「開化天皇(9代)」と「崇神天皇(10代)」は直系の血の繋がりはなく、「開化天皇(9代)」は在来の大和勢力であり、「崇神天皇(10代)」や「垂仁天皇(11代)」は北九州から東征してきた勢力となっています。 そして開化天皇9代と崇神天皇10代の親子の関係性が創作されたとしています。

《これらを元に次のようなストーリを思い描いてみました》
 大綜麻杵(おおへそき)
などの北九州の勢力が東征(第1次)する際に、和歌山(紀伊)への上陸準備に、対岸の徳島に滞在した。
そこで、「高屋阿波良姫」を娶り、「伊香色雄」「伊香色謎(伊迦賀色許売)」を生んだ。


 大和への東征が達成できた後、「伊香色雄」は 「大阪の枚方」周辺を拠点に活動することができた。

 「北九州からの東征(第一次)した勢力」はまだまだ機内では基盤が弱く、在来政権との協調路線を敷くこととしました。具体的には、在来政権の大王に、北九州勢力の女性を嫁がせ、関係を強化するという施策です。 
 そして、「開化天皇(9代)」と「伊香色謎」の間に皇子が生まれるのですが、既存の大和勢力を母に持つ他の皇子との権力争いに負け、阿波に移り住んだものと思われます。 

 そして、後に「忌部氏の祖」として「天富命」と言われるようになったのではないでしょうか?

ちなみに、既存の大和勢力を母に持つ他の皇子とは、彦坐王(日子坐王)であると推察します。


記紀における「開化天皇」(9代)の系図

今回は、かなり大胆なストーリーを描いてみました。


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