『孝元天皇が物部氏と連携』②大綜麻杵
ここでは、【伊香色雄】より前の世代の物部氏に祖先に着目して、所縁のある神社や伝承について見ていきます。
<大綜麻杵(おおへそき)について>
『日本書紀』によれば、大綜麻杵は崇神天皇紀に崇神天皇の母・伊香色謎命の父として記載されているが、他に特記すべき情報はない。
なお、大綜麻杵の妻の名は「高屋阿波良姫」と伝承されている。
名前に、「阿波」がつくことから、現在の「徳島県」あたりに所縁があるのでしょうか?
ここで、徳島県で気になる神社を紹介したいと思います。
<五所神社(瑜伽神社)>
所在地:徳島県吉野川市鴨島町麻植塚(おえづか)291
御祭神(五所神社):伊弉諾命、伊弉冊命 ・大山祇命
・誉田別命 ・息長足姫命
御祭神(瑜伽神社):大麻綜杵命(おおへつきのみこと)
御由緒:備前国(岡山)から瑜伽大像を遷してこの地に祭ったことから「瑜伽(ゆうが)神社」ともいう。昔、吉野川・飯尾川の洪水により、山路・藤森・三谷・柿原の氏子が秋祭りの参詣困難となることが度々あり、安政6年(1857)瑜伽神社に十二柱神社、柿原山神社、山路八幡神社、藤森八幡神社を合祀し五社大明神と称し、明治5年(1872)五所神社と改称した。
<ちょっと考察です>
物部の祖とされる【大綜麻杵(おおへそき)】に似た名前【大麻綜杵(おおへつき)】を祀る神社が徳島県にありました。
しかも、その神社の説明書きを見ると、この【大麻綜杵(おおへつき)】の母が「伊迦賀色許売命」となっていました。物部一族とのつながりを感じさせる神社です。
また天太玉命(あめのふとだま)と天富命(あめのとみ)という忌部氏の名前が登場してきます。 忌部氏の考察を書き始めると、本筋から大きくずれていくので、まずは物部一族の考察を進めていきます。
<伊加加志神社(いかがし)>
所在地:徳島県 吉野川市川島町桑村1635
御祭神:伊加賀色許売命 (姉)
伊加賀色許雄命 (弟)
天照大御神 ・ 事代主大神
「阿波国風土記」に関連する文書には、《開化・崇神の頃に「大綜麻杵(おおへそき)」と「伊香色雄」が当国の政務を司った》という一文がある。この伝承は、「麻植郡桑村にある神社」に由来するとあるが、【桑村】といえば、この【伊加加志神社(いかがしじんじゃ)】の住所である。
<ちょっと考察です>
「大綜麻杵(おおへそき)」と「伊香色雄」の親子の痕跡が、阿波(徳島)にありました。
《出雲口伝に関連する書籍》によると、物部一族は、九州から畿内へ東征するにあたり、和歌山の【名草】付近に上陸を試みます。
その足がかりとしたのが、「阿波(徳島)」や「淡路島」と思われます。 恐らく和歌山の【名草】を攻める前に、「阿波(徳島)」や「淡路島」でも《畿内側の勢力》と争いがあったものと考えます。
この「阿波(徳島)」を攻略した物部一族が中心的な人物が、「大綜麻杵(おおへそき)」と「伊香色雄」の親子だったのではないでしょうか?
次回は「阿波(徳島)」に居た《畿内側の勢力》について考えたいと思います。
(つづく)
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