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2023年心に残った言葉集

 みなさま、今年もお世話になりました。以下、完全に自分用の記事でございますが、誰かと共感できたり、あなたと新たな作品との出会いのきっかけになったりしたらいいなと思います。

・「芸術家というものは弱い、てんでなっちゃいない大きな低脳児ね。」『女の決闘』太宰治
 アマチュア物書きにはオーバーキルすぎたセリフ。太宰先生もこういった葛藤や焦りはあったのだろうか。

・「芸術家はもともと弱い者の味方だった筈なんだ」『畜犬談』太宰治
 他の短編にも、似たようなセリフが出てくる。芸術家は弱者の肩を持つものだという考えは、太宰先生が一貫してもっている哲学だったのではないかと考えている。でも太宰先生の最期を思いやると、自分自身の味方をしてあげること、自分自身を許してあげることはできなかったのだろうか。

・「誰よりも気高い肉体と精神の持ち主であるアスリートを年寄りが年寄り扱いした。」
・「柔らかくて甘いおやつという目先の欲望に執着する人間だからこそ、目先の苦痛から逃れるために死にたいと願うのだ」
・「本気で死にたがっている被介護者を見極め、車いすに乗せ、漫然と一律提供している食事からありとあらゆるたんぱく質を排除し歩行能力を完全に奪い、第二の心臓とされる脚の筋肉を弱める徹底ぶりが感じられない」
『スクラップアンドビルド』羽田圭介
 羽田先生の作品に触れたのは今作が初めてで、思想の強さにびっくりした。というより、芥川賞受賞作に本作が選ばれたことが驚きであった。なんというか、読んで分かる通り万人ウケするものでもないし、エンタメ性もない(ブラックさが一周回ってエンタメ化しているのかもしれないが)。
 とにかくスカッとするほどのブラックユーモアが個人的には合っていて、しばらく強烈に脳に焼きついた。僕は声を出して笑うほどの文に幾度か出会えたが、「面白い」と感じるか、「キッツ」と感じるかは割れそうである。少なくとも読書初心者に勧める作品ではない。というか他人に勧めるものなのか? ただ、本当に一晩で読み切ってしまう威力が本作にはあって、一度読んだら忘れられない、唯一無二の尖り具合をもっているのは確実だ。

・「〈砂は時間みたいに逃げていく〉と思ったり、〈それは安易な考えだ〉と思ったり、〈安易な考えは楽しい〉と思ったりした。なんといっても夏だった」
・「その贈り物を、わたしたちはじきに、弱さのあまり受け取るだろう。」
・「考える自由、正しくないことも考える自由、ほとんど考えない自由、自分自身で人生を選ぶ自由」
・「わたしはこれからどんな形にもなっていく素材にすぎないから。でも型にはめられるのはお断りという素材なのだ」
『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン
 サガン、なんと素晴らしい小説家だろう。メモを取りたすぎて読書が進まないというほど、素敵なセリフが次々と出てくる。十代のエネルギーや、答えを見つけたと思ったら逆のことを考える変わりやすさが、洒落た文で重く語られる。序盤の海の砂浜のシーンを読んだとき、とんでもねえ小説に出会ったと思わされた。砂遊びの最後に「なんといっても夏だった」と結ぶのが神業すぎる。この爽やかな一節を、僕は死ぬまで忘れられないだろう。

・「ただ、一さいは過ぎて行きます」
・「飲み残した一杯のアブサン。自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容していました」
『人間失格』太宰治
 ひたすらに暗い本作、終盤の一さいは過ぎて行きますという言葉が、あまりにも素敵な余韻を残してくれる。他の太宰先生の作品と違い、ひたすらに読者の存在を無視していく本作に正解の解釈などあるのか知らないが、本作の真実はこの一言に尽きるのではないかと思う。辛くとも、奪われても、死にたくても生きたくても、全ては過ぎて行く。生きるのが苦しい者にとっては、それがわずかばかりの救済になるのではないかと考えている。
 太宰先生は、過ぎて行くのを知っていても、やはり人生の終わりを待ちきれなかったのであろうか。

・「私はこのとき始めて、言いようのない疲労と倦怠とを、そうして不可解な、下等な、退屈な人生をわずかに忘れることができたのである」
『蜜柑』芥川龍之介
 芥川先生は、人生に関して、疲労、退屈といった旨の言葉をしばしば使う(超個人的見解)。芥川作品に一貫する考えとして、人生なるものは疲労や倦怠の連続というか、そのものでしかないというのがひしひしと伝わってくる。だが『蜜柑』の最後にあるように、時折感じられる人の親切や真心には、この倦怠を忘却させる力があるのかもしれない。

・「ピーキーすぎて、お前にはムリだよ」(金田)
『AKIRA』
 映画から。声に出して読みたい日本語だが、使うタイミングが無さすぎる。誰か僕にピーキーなお願いをしてくれ。

・「私は全てを変えられる。人の心以外は」(Drマンハッタン)
『ウォッチメン』
 映画から。特殊能力者がほとんど登場しないリアリティアメコミのウォッチメンにおいて、Drマンハッタンだけは超人だ。原子分子レベルでもの操ることができるので、分身、巨大化、ワープ、透視、未来視、笑ってしまうほどなんでもアリ。そんなマンハッタンが言うからこそ、重みのあるセリフである。人の心は何者にも変えられない。冷戦期の薄暗い本作、「心」こそが、わずかばかりの光明を視聴者に見せてくれるのである。

 もっとたくさんメモしていたのだが、今(記事執筆中)に見当たったのはこの辺りである。どこかにメモしてあったはずだが……無くしたのかもしれない。
 来年も良き作品、良き言葉に出会えることを願って。

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