シェアハウス・ロック2412中旬投稿分

【Live】冬の散歩道1211

 なんだか、フォークソングかニューミュージック(古いね。でも、老人なんだから、古くてあたりまえだい)みたいなタイトルだね。しばらく宇和島ネタが続いたので、久しぶりの身の丈ネタである。我がシェアハウスから、遊歩道を使い、最寄り駅まで歩いたというだけの話だ。
 さすが冬なので、花はそれほどは咲いていない。それでも、オオキバナカタバミが目立つ。これは、黄色い花で、丈が高い。割合に、よく目にする花である。名前はスマホの検索で調べたもので、違っているかもしれない。
 同様の花で、青梅草(オウメグサ)というものもある。もしかしたら、こっちなのかもしれない。青梅は、私らが住んでいるところからほぼ北に10㎞ちょっと行ったところなので、ここの遊歩道に青梅草が咲いていてもなんの不思議もない。私の素人目には、オオキバナカタバミと青梅草の区別がつかないのである。
 タンポポ、アカツメクサ、ヒメジョオン(もしくはハルジョオン)は強い草なので、ほぼ通年咲いており、いまも花を付けている。ヒメジョオン、ハルジョオンの区別も、私にはつかない。昔、ガクのところが違っていると教えてもらったことがあるが、その時点ですらどう違っているのかよくわからず、ただ、ガクが違うということだけをおぼえたにすぎない。
 ススキも若干残っているが、多くのススキと、その他の草は、だいぶ倒れていた。刈って、まだ片付けていないのだろうか。
 もうひとつ。アカツメクサは咲いているのに、なぜシロツメクサは咲いていないのだろう。同じようなものなのに。「アカ」のほうが寒さに強いのだろうか。
 低潅木に小さなユリのような花がついているのをだいぶ目にする。アベリア(スイカズラ科)である。これも検索で知ったのだが、こっちは特徴等々がまったく一緒なので、知らないながらも自信がある。
 12月に入って夜はさすがに寒いものの、昼の間はけっこう暖かい。特に、風がなく、日が出ているときなど、ちょっと厚着で散歩しているときには汗ばむことすらある。
 新宿区・四谷から八王子に越して来た当初は、「太陽に近い」という感じを持ったが、この「近い」という感じがますます激しくなっているような気がする。前述の「汗ばむ」も、そのことと関連する。
 CО2による温室効果で大気温を上げるというが、そして温室効果だけを考える限りにおいてはその通りだろうが、逆に、CО2が減っていることで温度が上がるということはないのだろうか。つまり、赤外線の透過をCО2が遮断するということはないのだろうか。理屈から言えば、遮断はするはずだ。その遮断が少なくなれば、地表温度は上がるはずだ。でも、こんなことを言う人は誰もいない。
 これも、私がCО2地球温暖化犯人説を疑わしく思う理由のひとつになっている。
【追記1】
 上記を書いた2日後、また同じ道を歩いたところ、「だいぶ倒れていた」草は、きれいに片付けられていた。だから、上記は作業途中だったのだろう。
 また、植えこみのところでは、ツバキが相当に咲いていた。

【Live】手づくりジャム1212

 昨日に続き、身の丈ネタである。
 朝食に摂るのは、パン、バター、ミルク、ヨーグルト、ジャムだけだ。あとコーヒー。1年365日、朝食はこれだけ。パンとヨーグルトにジャムを使う。
 安いジャムには甘味料、酸味料、香料だけでつくったジュースのごときものにペクチンを入れて固めただけという、言語道断なものがある。これはさすがにいやなので、それなりに果物を使っており、なおかつ安価というものを選んで使う。具体的には、須藤農園のものなど、なかなか秀逸である。
 自分でつくることもある。リンゴ、キウイは定番で、安いときに買って、ジャムにする。ただ、当たり前だが保存料を使わないし、あまり甘くしたくないので、せいぜい10日程度で使い切る量しか、一度につくらないようにしている。
 この間、近所のスーパーで、桃の缶詰を99円で売っていた。試しに2缶買い求め、ジャムにしてみた。まあまあの出来だったので、6個買い足した。
 ただ、問題点がふたつある。
 まず、香りがまったくない。生の桃を使ってつくったジャムは、ほのかに桃の匂いがしてなかなかなのに、缶詰だとそれがない。昨日、出先で自動販売機で買ったロイヤルミルクティーなるものにいい香りがついていたので、あれを加えてみようかと考えている。缶詰の桃でジャムをつくるときにはペクチンを使わないのだが、多少ペクチンを使えばまとまるような気がする。それに、桃とミルクは親和性がいい。
 また、ペットボトルのドリンクには、ビタミンCが添加されているが、あれはアスコルビン酸だ。防腐剤として使う。よって、防腐効果も若干は期待できるし、試してみる価値はある。
 もうひとつの問題点は、缶詰の桃でジャムをつくるとき、火にかけ、かきまぜる段階で、なんだか卑怯なことをやっているような気になってしまうことである。なんでそう思うかは我ながらわからないのだが、こっちは対処しようがない。
 昔々は、八百屋で一山いくらで、多少痛みかかったようなイチゴなら捨て値みたいな値段で買えたものだが、流通がよくなったのか、製品管理がよくなったのか、そういうものはまったく見かけなくなった。
 次のテーマは、そういう果物を購入できるところを探すことと、リンゴ、キウイ以外に恒常的にジャムにできる果物を探すことである。みかんなんかは、工夫次第でなんとかなるのではないかと思う。
 もうひとつテーマがある。上記、桃の缶詰の安売りのときに、濃縮還元100%レモンというものも買った。リンゴジャムの制作時には、これを防腐剤として使えないものかということである。
【追記】
 ロイヤルミルクティーなるものの添加は成功。ペクチンも不要だった。

【Live】文楽『曽根崎心中』1213

「【Live】『金壺親父恋達引』1209」で、「今回の東京公演は」「二回行くことになる」と書いたが、二回目(12月10日)に見たのが『曽根崎心中』である。「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」の三段。この三段で、『曽根崎心中』のおおよその粗筋はわかるようになっている。場所は前回と同一で、江東区文化センター。
『曽根崎心中』は、元禄16年(1703年)4月7日早朝に起きたお初・徳兵衛の心中事件を近松門左衛門が世話物に仕立てたものであり、同年5月7日竹本座での公演が初演。事件後、ひと月で舞台にあげたわけだが、それでも完成度は高い。近松の天才が窺えるというものである。
 今回の公演の人形はお初(吉田一輔)、徳兵衛(吉田玉男)と、私が見るところ現在最高のキャスティングだ。
「生玉社前の段」開幕早々に、徳兵衛が下働きの男に「サ早う行きや。アゝコレコレ道頓堀に寄りやんなや」と言うが、これは落語『四段目』を彷彿させるくすぐりで、道頓堀には竹本座を始め芝居小屋がいくつかあり、ここで当時の観客はどっと沸いたはずである。
 道行「天神森の段」は、

 此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜

で始まり、

 未来成仏うたがひなき、恋の手本となりにけり

で結ばれる。
『曽根崎心中』を嚆矢とする心中ものの流行の結果、心中事件が多発したため、幕府は享保8年(1723年)に心中ものの上演、脚本の執筆、発行を禁止した。また、心中者の片割れが生存した場合は極刑に処し、双方生存の場合は晒し者にした後市民権を奪うなど、苛烈な処置を行うことになる。
 当該の心中は、西成郡曾根崎村の露天神の森でのことである。以降、お初天神とも呼ばれるようになった。今でも近隣の方は、「お初天神」で知っているはずである。
 公演は、18時45分開始なので、開演前になにか少しは腹におさめておこうと会場の最寄り駅に余裕をもって着くようにした。私は、牛丼でも、立ち食いソバでもいいやと思っていたのだが、マエダ(夫)はさすがにプロの酒飲みだけのことはあり、極上の居酒屋を、なんの苦もなく探し当てた。そこで飲んだ『播州一献』は秀逸だった。
 その翌日、畏友その1と巣鴨で会ったときに行った店にも、『播州一献』があったので、私はもちろんそれを飲んだ。前日は、あまり飲むと公演中眠くなるといけないと自制していたので、その翌日は心置きなく飲んだのである。
 そうそう、『播州一献』の話で忘れるところだった。
 実は、今回を書く段階でWikipediaで確認をしていたところ、『曽根崎心中』が映画になっていることを知ったのである。1981年10月完成のその映画は、栗崎碧さんという方が監督で、人形遣いは吉田玉男(初代)(徳兵衛)、吉田簑助 (三代目)(お初)である。これだけでも垂涎ものなのに、撮影が名匠・宮川一夫(!)である。
 見たいなあ、これ。見たいっ!

文楽はオラトリオだ!1214

『遠い呼び声の彼方へ』(武満徹)を、一気に食べてしまうともったいないので、好きなお菓子をチビチビ食べる子どものようにして読んでいる。『時間の園丁』『音楽をよびさますもの』(武満徹)とともに、今年の青空古本市での成果である。後二者も、チビチビ読むことになるだろう。
 読んだなかに、武満徹が徴用先で、学徒動員で徴兵された下士官に、シャンソンのレコードを聞かせてもらうシーンがある。14歳の武満少年は、その美しさに衝撃を受けた。つまり、この下士官は武満徹の恩人であり、我々のように彼の音楽を愛する人間にとっても恩人であることになる。
 武満少年は以降音楽の道に邁進するのだが、日本的なるものには一貫して嫌悪を感じていたという。ところが、あるときに聴いた文楽に衝撃を受け、日本的なるものに目覚めた。後年、『ノヴェンバー・ステップス』に至る萌芽がここにある。
 ここまではマクラ。
 それまで、私は、薄ぼんやりとは感じていたのだが、それを読むことにより、文楽はオラトリオであるという考えが鮮明に像を結んだのである。
 大雑把にもほどがある言い方をすれば、「オペラ-(大道具+小道具+衣装)」がオラトリオである。だから、より正確に言えば、文楽はオラトリオではなくオペラ、そんな言葉はないが「人形オペラ」ということになる。
 文楽は、言うまでもなく太夫(浄瑠璃語り)、三味線、人形遣いの三業からなる。だが、前二者は舞台(人形が動き回る)とは異なり、オーケストラボックスのような場所(たぶん、「床(ゆか)」と呼ぶんだろう)で演じ、人形が演じる場所とは隔絶した位置にいる。これにより浄瑠璃の絶対性を担保し、人形は運命(浄瑠璃)に操られる者という位置を与えられることになる。
 前日にお話しした『曽根崎心中』では、太夫が四人並び、そのなかでお初を演じたのは豊竹芳穂太夫だった。好演。
『マタイ受難曲』(ヨハン・セバスティアン・バッハ)では、福音書作家という「ナレーター」がおり、イエス、ピラト、ペテロ、群衆などを担当する歌手がいる。ところが、文楽では、お初の台詞を芳穂太夫が担当することは言うまでもないが、その動作(の説明)、その心情(の説明)も芳穂太夫が語る。オラトリオだったら、これは「ナレーター」がやるところだ。この点が、オラトリオと文楽で異なるところである。だが、この違いは大きい。
 以前、なにかのついでに近代小説理論「神の視点」の説明をしたことがあったが、太夫(=床本)がこの「神の視点」に近くなるのが浄瑠璃の文法なのである。
 文楽に衝撃を受けた武満徹は、また『マタイ受難曲』が大好きで、繰り返し聴き、亡くなるときもずっと『マタイ受難曲』を聴いていたという。
 なにか不思議な気がするが、あたりまえのような気もして、ここはけっこうな考えどころであると、私は感じる。前述の三冊をチビチビと読みながら、そんなことを考えてみようと思っているのである。
 ああそうそう、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685年3月31日-1750年7月28日)と、近松門左衛門(1653年-1725年1月6日)は、同年代と言っていい。

過激療法・過激筋トレ1215

 新聞の書籍広告は、どういうわけだか健康本、老人本が多い。自分がいい加減いい歳で気になってるから、そういうのばっかり目につくのかなあ。まあ、老人本もある意味健康本だから、健康本ばっかりと言っていい。
 私は、基本的にああいうものは信じないのだが、それでも、ホントかよなどと思いながらタイトルをながめているのはけっこう楽しい。だが、中身も楽しいかどうかはわからない。
 古典的には、『サルノコシカケでがんが消えた』なんていうのがあった。ここから先はちょっと口から出まかせだが、『かぼす一日三個で認知症を防ぐ』とか、『満腹ダイエット』とか、けっこうホントかよがある。
 こういった感じにちょっと似ているのがマラリア療法なるものだ。こっちはホント。ホントにこういう療法があったのである。
 マラリアにかかると、高熱が出る。41、2度になる。そうすると、梅毒スピロヘータ、淋菌などは、その温度に耐えられず、死滅するという。で、無事マラリアから生還すると、梅毒、淋病はめでたく治っている。ただし、マラリアで死んでしまうかもしれない。命がけである。これは過激療法と呼びたい。
 過激療法、梅毒、淋病の三題噺では、水銀療法というのがあった。なんでも、尿道口から水銀のなんとか水溶液を注入するのだという。聞くだに痛そう。シューベルトの『冬の旅』の楽譜の間に挟まれていた吸い取り紙は、ほとんど水銀療法の領収書だったという有名な話がある。シューベルトはどっちだったんだろうね。
 閑話休題。
 前に、がんの免疫細胞療法のお話をしたことがある。あれは、一見効くように感じられるし、自分の免疫細胞を培養して自分に戻すわけだから、副作用もないはずだ。だが、「がんの『自由診療』0726」でお伝えしたように、実際は効果がないという。
 がんに関しては、前のパラグラフよりも次が今回のお話である。
 がん細胞も熱に弱く、横たわれるだけのプールに入り、そこに満たされた液体を40℃を超える温度にし、体温もその温度にし、がんの細胞だけを死滅させる温熱療法があるという話を聞いたことがある。ただし、本体も死滅してしまう恐れがあるので、医者がつきっきりで細かな温度管理をするという。聞いただけの話なので、本当かどうかはわからないし、そもそも効果があるのかもわからないのだが、これも過激療法だな。
 本当かどうかわからないのに無責任だが、これはマラリア療法で代替できるのではないか。
 本日のお話は、こういった過激療法がおもしろいというだけの話である。
 私は、喘息患者である。よって、一日中ゴボゴボ咳をしている。
 大きな手術をした人はご存じだろうが、手術の部位が上半身だと、笑うだけで手術跡が痛い。咳が出そうになると、なるべく口先だけで咳をしようと工夫する。ちなみに、くしゃみが出そうになると、それだけで絶望的な気分になる。
 くしゃみはともかく、咳でも本格的なものになると、腹筋、背筋などを相当に使う。私のような喘息患者は、一日中、腹筋、背筋に相当の負荷を与え、トレーニングをしていることになるので、多少脂肪がついているので外からはあまりはっきりとは見えないが、いまでも腹筋は6つに割れている。
 私はこれを、喘息健康法、喘息筋トレと頭のなかでは密かに呼んでいるが、友人、知人には言わないようにしている。間違いなくバカにされるだろうからだ。そのくらいの分別は、私にだってある。

15個体目のシェアハウスの住人1216

 我がシェアハウスには、おじさん、おばさん、私と3人の住人がいる。それに準ずるものとして、メダカがいる。現在は11匹。つまり、動物は14個体になる。メダカの諸君は完全に冬眠に入った。
 実は、15個体目がいる。ハエトリグモだ。八王子に引っ越して来てすぐに、私の部屋で見かけた。私らが入ったUR物件にもともと棲みついていたものやら、私らの引っ越し荷物に紛れて密入国してきたものやらわからない。前者であれば、私らの先輩ということになる。
 ハエトリグモで検索してみたところ、どうもソイツはシラヒゲハエトリらしい。さすがにこれだけ寒くなったら見かけないが、夏を挟んだ6か月間くらいは、週に一回程度は見かける。私らがここへ移ってきたのは9月。初対面は、その10月ごろだった。
 小学生4年のときにハエトリグモをプラスチック製の胴乱で飼っていたことがある。いまいるヤツと顔が同じだったから、アイツもシラヒゲハエトリだったろう。当時、いろいろなハエ取り器が世の中にはあり、生きたままハエを捕まえるタイプのものも多々あった。そういうハエ取り器があるところから生きたままのハエを手に入れ、それを生餌にして飼っていたのである。
 なんだか奇怪な趣味のようだが、寛文期から享保期ごろ、ハエトリグモを「座敷鷹」と呼んで、ハエを捕らせる遊びが流行したというから、多少奇怪かもしれないが、異常というほどではない。「座敷鷹」は、鷹狩りの室内版であり、それがある程度流行った証拠にクモを売る商売すら当時はあり、またクモを飼うための蒔絵(!)を施した印籠型容器まであったという。いい時代だねえ。
 我がハエトリグモ(初代)は、胴乱に落ち着くまでは森永ミルクキャラメルの空き箱に入れていたから、まあ、印籠型容器は納得できる。
 初代は、ハエを手に入れるのがけっこう手間なので、結局放してやった。ハエ取り器が家にあれば、もうちょっと長く飼ったかもしれないし、私も長じてハエトリグモの研究者になっていたかもしれない。二代目は我がシェアハウスの私の部屋で自活しているので、そのままである。
 Wikipediaによると、世界で命名されている種が約6000、日本では105種が確認されているそうで、いずれも比較的小型で、足も長くなく、徘徊性のクモである。巣は張らない。
 今年は、10月ごろに見かけたのが最後だ。私がコンピュータを使う前の壁を這っていた。この壁は、彼/彼女のお気に入りらしい。
 コイツが、入居当初に見かけた個体と同一人物なのかは、よくわからない。もし同一人物なら、彼/彼女は8年間生きていることになるが、そもそも、ハエトリグモの寿命がどれくらいなのかも私にはわからないし、Wikipediaにもそれは書かれていなかった。
 ところで、ふた月前くらいからコンピュータでなにやら検索すると、トップに相当あられもないものが出て来るようになった。ハエトリグモの検索時の「あられもないもの」は、以下だった。

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 まったく、もう。ハエトリグモなんか売れるもんなら売ってもらおうじゃないか(笑)。

 
クリスマス・オラトリオ(BWV248)1217

 クリスマスが近くなってくると、クリスマスにちなんだ曲を聴きたくなる。とは言っても、『ジングルベル』とか、『サンタが街にやってくる』とかああいったんじゃなくて、山下達郎の『クリスマス・イブ』みたいなんでもなく、もうちょっとなんと言うか、クリスマスらしいというか、『ジングルベル』も『サンタが街にやってくる』もクリスマスらしいと言えばクリスマスらしいんだけど、ああ、じれったい。はっきり言うことにする。商業的クリスマスでも、俗流クリスマスでもなく、もろ降誕祭という感じ(これでもよくわからないだろうけど)のクリスマスの曲である。
 なんだか、商業、俗流というのがゲスで、「宗教は高尚(!)」みたいな物言いに聞こえそうなのがイヤで、言葉を探していたわけである。でも、いい言葉が見つからない。
 宗教(キリスト教)がたかだか2000年程度の歴史しかないのに比べ、商業(交易)はたぶん数万年の歴史がある。別に、歴史が長いからって、それがなにか意味があるとは思わないけれども、商業から見たら、宗教なんて新参者である。
 だいたい、私は、サンタクロースをサンタと呼ぶのもいやだ。渡辺篤史を思い出してしまう。この冗談は70歳以下の人には絶対にわかるまい。おらあ、三太だ。あたいはハナコ、いまにジュディ・オングになるだ。爺さん、あんた、悪いけど頭の配線がどっかでショートしてるぞ。
 昔、ラジオで、志摩夕起夫なんて人(この人も知るまい)が、「クリスマスアルバムが出せるミュージシャンは一流である」みたいなことを言っていた。この論旨でいくと、ザ・ベンチャーズは一流ということになってしまう。そのクリスマスアルバムの『ジングルベル』などは、『I feel fine』(ザ・ビートルズ)のイントロの流用で始まり、ちょっと笑える。まあ、これもどうでもいいことだ。
 私が選んだのは『Mera Sings Bach』(米良美一/バッハ・コレギウム・ジャパン)である。やっと若い人にもわかる話になってきた。どうも老人の話てえのは昔のことばっかりで、しかもそれが長くっていけません。まだショートしてるな。
 このアルバムは、『マタイ受難曲』の第7曲『私が犯した罪の縄目から』と第30曲『成し遂げられた!』にサンドイッチされる形で(ほかのバッハも演奏されるけど)、クリスマス・オラトリオ(BWV248)から次の5曲が演奏される。
・備えよ、シオンよ
・眠りませ、いとしい方、安らぎを楽しみつつ
・心よ、この幸いな奇跡を
・新たに生まれたユダヤ人の王は
・ああ、その時がいつやってくるのか
『ジングルベル』も『サンタが街にやってくる』も、聞くと、「ああ、なんか買わなくちゃいけなかったんだ。なんだったっけな」みたいな、なんだか落ち着かない気分になるので、私はあまり好きじゃないのである。
 朝のコーヒータイムのときのバッハは、クリスマスまではこのCDを聴くことになるはずだ。

趣味が広いといいことがある1218

 いいことがあると言っても、そんなにたいしたことではない。しょせん、私の言うことである。古本屋でなにか読む本を探すときに、安く済むというだけのことだ。
 今年の青空古本市では、『遠い呼び声の彼方へ』『時間の園丁』『音楽をよびさますもの』(武満徹)がまず収穫で、これらは普通よりもちょっとだけ安い値段だったが、それ以外は3冊100円のコーナーで次の9冊を買った。これはバカ安で、以下の9冊が全部で300円である。2か月くらいは、これで楽しめる。2か月300円で楽しめる趣味など、そうそうあるまい。
①『母なる海から日本を読み解く』(佐藤優)
②『「国語」の近代化』(安田敏朗)
③『日本語の発音はどう変わってきたか』(釘貫亨)
④『古代史津々浦々』(森浩一)
⑤『ま・く・ら』(柳家小三治)
⑥『獏の食べ残し』(中島らも)
⑦『はみだし生物学』(小松左京)
⑧『地図にない谷』(藤本泉)
⑨『様々なる意匠・Xへの手紙』(小林秀雄)
 ⑦⑧⑨は再読。⑦はとても面白かった記憶があるので、また読んでみようということである。小松左京は、こういった随想みたいなものも面白い。⑧の藤本泉さんは、六全協以前の共産党員である。70年代に私は推理小説にはまり、共産党っぽい推理小説は多々あるものの、新左翼っぽい推理小説はないものかと思い、探して探して、やっと遭遇したのが藤本泉さんだったのである。もし興味があるなら、六全協は検索して調べてね。説明すると、5回分くらい(それでも不十分)になってしまう。
 ちなみに、私はマルクス主義者のはしくれではあるものの、日本共産党は嫌い。科学的社会主義というのも大っ嫌い。あれは、科学にも社会主義にも失礼というものである。
 ⑨は、ここんとこノートのあちらこちらで小林秀雄の話題を読むので、読み直してみるかなと思い、買ったものだ。⑤⑥は説明不要。
 ④は、ぱらぱらと読んでおり、若干だがコメントしている。「宇和島紀行」シリーズのどこやらで、「海の国」「陸の国」のお話をしたところである。まだ全部読んでないんだけど、これはいい本だ。
 ①は、沖縄入門には最適な本である。佐藤優さんのご母堂が久米島の出身であるそうな。沖縄←→本土という対立軸に、久米島←→沖縄本島←→本土と、久米島を置くことにより、より鮮明に全体の構造が見えてくることを、私はこの本で知った。
 同書は、仲原善忠の著作の引用がとても多く、この本を読んだだけで仲原善忠の著作の概要はわかったような気になる。
 久米島は、令和2年(2020年) の国勢調査では人口が7,192人である。失礼な言い方を百も承知で申しあげれば、そういう島からこういう人が出て来るということだけでも、日本の文化の根の深さを感じられ、とても嬉しくなってくる。
 伊波普猷、『おもろさうし』などの名が(中身も)何回も出て来て、それが長い曲のなかに同じ動機がなんべんも繰り返される音楽のようで、不勉強な私としてはとても嬉しい。
 沖縄にご興味がおありの方には、なかなかの本である。

 
ホンのお口汚し1219

 前回の表題が羊頭狗肉だったのに対し、今回の表題は単なる駄洒落である。今回申しあげたい内容を一言で言えば、「本はたくさん読んだほうがいい」だ。「なぜなら…」を簡単に言えば、「その本は間違っているかもしれない」からだ。
「文章読本」などという本を読めば、確かに同じことを言っているところはあるが、それぞれで全然違うことを言っているところも多々ある。そのあたりで、私が「間違い」と言うのがご理解いただけるだろうと思う。 
 ここで、「間違い」をクイズの「正解」(の反対だな)のように捉えていただきたくない。「正しさ」を前回の続きで申しあげれば、

沖縄←→本土という対立軸に、久米島←→沖縄本島←→本土と、久米島を置くことにより、より鮮明に全体の構造が見えてくる

といったようなことである。
 私が申しあげたい「正しさ」は、よく言われる「複眼的」というのに近く、それに「多焦点」というのを足した感じだろうと思う。
 12月17日毎日新聞夕刊の一面トップは、「湯煙の向こう 書店復活の灯」という記事だった。この記事自体はどうでもいいのだが、そのなかに書かれている数字に私は興味を持った。
 公益社団法人全国出版協会出版科学研究所というところのデータによると、1996年約2兆7000億円、2022年約1兆1000億円が書籍の売上高である。25年間に半分以下になっている。
 それに対し、比較期間はやや違うが、書店の数は、2003年約2万1000店舗、2023年約1万1000店舗と、これも半分になっている。
 これはどういう数字なのだろう。書店は本の蛇口である。蛇口が半分になれば、水の流れも半分になるのは当たり前だ。それだけの話なのか。そんな単純な話でもあるまい。それがまったく言われていない。
 一方、同記事にはもうひとつ数字がある。それは文化庁の23年度の調査で「1か月に読む本の冊数」という設問に対し、電子書籍を含めて「読まない」が62.6%だったというものだ。
 この調査対象者が新聞や、ネットニュース、あるいはSNSなどを読む頻度はどうなっているのだろう。是非とも、知りたいところであるし、そのデータがないと、この記事は意味をなさないと思う。
 斎藤元彦現象を、私はいまのところ、マスコミvsネットという構造で捉えているが、それを解く鍵もこのあたりにあるような気がする。
 マスコミはそれなりに裏を取るだろうが、ネットにはそれがない。元々の発信者は裏を取っていたとしても、伝言ゲーム化し、だんだんとそういったところから離れていくはずである。それがリツイートでさらに拡散する。
 でも、そういったことよりも、「知りたいことだけ知りたい」という心性そのものが、なにかとんでもないところにつながっていくような気が私にはするのである。
 だから、私は、「間違っている」本も含め、多くの本を読まなければと考えている。そうすることによって、正しい方向に意識が収斂していくのではないか。その程度には人間の理性を、私は信じている。

ポン煎餅1220

 一昨日、我が畏友その1が最寄り駅まで来てくれた。テーマは物々交換。
 私が手渡したのは、リンゴジャム、キウイジャム、そして我がシェアハウスのおばさん制作の鶏の炊き込みご飯である。リンゴ、キウイは、約一週間前、巣鴨地蔵通り商店街で会ったときに手渡されたものだ。それをジャム化して渡したわけである。
 手渡した瞬間、私は、ポン煎餅を思い出してしまった。
 ポン煎餅は、リヤカーに製造機一式を積んだおじさんがやってきて、路上でつくるものだ。幼少年時代の私の親分や兄貴分は、家からこっそり生米を持ち出し、おじさんにそれを手渡す。
 おじさんはそこから手数料分の米を引き、残りをポン煎餅化する。私らは、ポン煎餅で、ディールということを学んだのである。ディールを学んだとしても、ここでは貨幣経済が完璧に破綻しているな。
 釜では火が焚かれていたから、熱を加え、圧力を高くし、それを抜く際に米が膨張するのだろう。そのときに、ポンという派手な音がする。それでポン煎餅だ。
 つまり、その音で幼少年時代の親分や兄貴分はおじさんが来たことを知るわけである。
 おじさんはいなくなっちゃったけど、ポン煎餅はいまでもスーパーなどでは売られている。
 ディールを学んだ私は、今回渡したリンゴジャム、キウイジャムの制作にあたって、当然手数料を引いている。畏友その1に渡した残りが、私の手数料である。
 今回、畏友その1から手渡されたものは、晩白柑。いただきものだそうだ。「パンペイユ」と読む。これは中国語読みだけど、北京口ではないだろうな。
 晩白柑はザボンの一種であり、「世界一大きな柑橘」であるらしい。確かに大きい。直径30cmくらいはある。原産地はマレー半島で、大正9年、当時台湾の農業技師であった島田弥市が日本へ持ち込み、昭和10年に熊本県の果樹試験場に導入され、その後八代(熊本県)等々で一般農家でも栽培されるようになったという。
 ザボンは白柑であり、その晩生なので、晩白柑である。生がどっか行っちゃったな。
『長崎のザボン売り』(石本美由紀作詞、江口夜詩作曲、小畑実歌)という歌があったが、長崎にはザボン売りなどいなかったというぞ。私は、題名だけ知っていて、これを書くに際して初めて聞いた。皆さんは聞かないほうがいいと思う。
 晩白柑の皮は、砂糖菓子にする。これを知っている人は多いはずだし、食べた人も多いだろう。畏友その1は、砂糖菓子化したものを「少し分けてくれるとありがたい」と殊勝にも言っているが、私は良心的なので、1/3くらいは分けてやろうと思っている。
 しかし、ますます私、ポン煎餅屋化しそうだな。まあ、それも面白いけど。

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