シェアハウス・ロック0718

動物に言語はあるのか2

 なんだかねえ、おっさん週刊誌で言語関連の記事がまた出たんだよ。おっさん連中が、突如言語に関心が出て来たのかねえ。そんなこと、ないよなあ。
 本日の話は、『週刊新潮』(24.7.11)の「全知全脳」(池谷裕二)にあったものだ。
 ニューキャッスル大学のバーテンショー博士らが15年前に発表した論文に、「名前を付けられたウシは乳の出がよくなる」というものがあるという。約3%よくなるという。「なんだ、3%かよ」と言わないでね。統計的には、これは有意な違いである。
 だけど、これは、名前で呼ばれたウシが喜んで、いっぱい牛乳を出したというよりも、一頭一頭に名前をつけるほど可愛がる飼育者のほうに、この有意な原因があると思われる。つまり、そうやって可愛がる飼育者に飼われているウシのほうがいい環境にあるはずで、牛乳もたくさん出すだろうよということである。これは、池谷さんも指摘されている。
 では、動物に名前をつけても、彼らにはわからないのか。
 そうでもないみたいである。たとえば、バンドウイルカやオナガインコは、相手の特徴的な鳴き声を真似ることでお互いを認識することが知られている。
 池谷さんは、これを「呼称」と呼び、「集団内において個体を識別する機能を持っているという点で『名前』に似てい」るとおっしゃるが、これは違うと思う。バンドウイルカやオナガインコには、自己意識があるとしか言えないと思う。
つまり、自己意識があるから、「自分の声」が聞こえたときに反応すると考えたほうが近いと思う。私ら人間で言えば、例えば、自分がいま黒い服を着ていることを知っている(これが自己意識)と、「そこの黒い人」と呼ばれたら、「えっ、オレ」ということになる。
 このあと、池谷さんは、(少なくとも私には)よくわからないことを言っている。

 たとえば、私の名前は「池谷裕二」ですが、「いけがやゆうじ」という音列は、私自身の声色や体型など、私が持つ固有の特徴を一切反映していません。

 ここは、言葉と意味(中身)の関係(=恣意性)をおっしゃっているのだろう。
 私の(頼りない)頭では、ここで池谷さんは名前の恣意性を言い、後に言うゾウのケースで、ゾウが恣意的であるはずの名前を呼び、他(子ども)のゾウが有意に反応したと続けていると読める。
 バンドウイルカやオナガインコは、「特徴的な鳴き声を真似ることでお互いを認識する」(ここまでは間違いない)が、「ゾウの声は、ある特定の個体の鳴き真似をしているわけでは」ないが、「特定の個体に向けて発せられていることがわか」ったそうである。
 そして、「録音した鳴き声をスピーカーで再生してゾウに聞かせたところ、自分の『名前』が流れたとき」により反応を示したという。
 これは、私には、「名前」ではなく、「声」に反応したのだと思われる。人間の赤ちゃんだって、母親が呼ぶ自分の名前ではなく、母親の声にまず反応しているはずである。
 ただ、池谷さんも、

 もちろん、この事実だけで「ゾウは名前で互いに呼び合っている」と断定できるわけではありません。

と留保をつけている。
 前回、今回と、動物と言語というとてもおもしろい話が、たまたま近接して発行されたおっさん週刊誌に出ていたので報告した。

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