シェアハウス・ロック0815

『人間革命』の冒頭

 戦争はいけない。
 絶対にいけない。

『人間革命』(池田大作著)は上の言葉で始まっていた。もちろん、これは記憶であるし、しかも私の記憶だからあてにはならない。
 2014年7月1日、第2次安倍内閣は、現行憲法でも集団的自衛権を行使することができるとする閣議決定をした。従来の憲法解釈を変更するこの閣議決定は、日本に対する武力攻撃、または日本と密接な関係にある国家に対して武力攻撃がなされ、かつ、それによって「日本国民」に明白な危険があり、集団的自衛権行使以外に方法がない場合に、必要最小限度の実力行使ができるというものである。これが、集団的自衛権の行使の要件であり、これを「新三要件」というらしい。
 安倍晋三は「紛争中の外国から避難する邦人を乗せた米輸送艦を自衛隊が守れるようにする」とコメントした。新聞でそれを読んだ私は、「なんたる詭弁だ」と思った。「米輸送艦」になどに乗らなければ、それで済む。よしんば「米輸送艦」に乗らなければならない事態であったとしても、速やかに他の船に乗り換えればそれでよろしい。
 そもそも「軍」が「民衆」を守らないことは、日本では満州帝国末期で証明済みだ。「軍」は「国体」は守っても「民衆」は守らない。より正確には、「国体」をこそ優先して守るものなのである。「民衆」は「ついで」だ。自衛隊法を精緻に読めば、これは書いてあるはずである。
 だいいち、上記の冒頭「日本に対する武力攻撃」は個別的自衛権の適用範囲そのものであり、個別的自衛権が自然権であることは自明である。ここでこれを言うのはおかしい。それも含めて、この閣議決定はグチャグチャである。
 もっとも根源的な疑問は、憲法解釈を閣議決定できるものなのかということだ。
 もうひとつ感じたのは、連合政権の一翼を担う公明党は、上記の池田先生の教えに叛くのかということである。これを言いたいのが、この文章を書いた主な目的だ。
 私が昔『人間革命』を読んだのは、創価学会第二代会長・戸田城聖が死の床で、「小岩はまだか」と言ったということを小耳に挟み、「そこまでは読んでみるかな」と思ったのがその理由だった。
 小岩というのは、江戸川区の小岩のことである。私は、そこで生まれ、そこで育った。私が小学2年生の三学期、父親が統合失調症で精神病院に収監された。それからほどなくして、上述の「小岩」が私の家に来たのである。小学2年生の感想なので大目に見ていただきたいが、私は、「この人たちは、人の不幸を嗅ぎつける」と思い、嫌な感じを持ったのだった。
 私の家にあるお稲荷さんを見て、その「小岩」の人(ヨシダといったと思う)は、「こんなものがあるから、この家はこんなことになるんだ。オレが捨ててやる」と言って、神棚に手をかけようとした。母は、「本当に罰が当たらないと思うんなら、やってみなさい」と言った。ヨシダは、ビクッとして、手を引っ込めた。勝負あったね。我が母親ながらかっこいいと私は思った。
 一言だけ、宗教の話をしておく。私は『法華経』を岩波文庫では読んでいるし、そこそこは理解したと思ってもいる。だが、お稲荷さんは、いまだに正体不明である。だから、お稲荷さんよりも『法華経』のほうに、現在の私は親しみがある。これは言っておきたい。
 場末の少年の思い出話はこのくらいにするが、戸田城聖さんが死の床で呼ぶほど「小岩」は戦闘的で、布教にも活躍し、戸田さんの信頼が厚かったのだろう。そこを知りたいと思い、『人間革命』を読んだのである。
 前述の「閣議決定」以来、『人間革命』の出だしがずっと冒頭の文言だったかが気になっていたのだが、つい最近、古本市の3冊100円のコーナーに『人間革命』の1があったので、立ち読みして確かめてみた。そこには、以下のように書かれていた。だから冒頭は私の記憶違いだった可能性がある。それとも改定したのだろうか。昔に『人間革命』を読んだ人に、教えを乞いたい。
 
 戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?