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「櫻(さくら)」 『香染』

香日和「こうびより」「こうにちわ」とも           一之記

  古代からの聖地といわれる二子玉川(にこたま)の丘の上、〈将監山〉。
我が家の桜の老樹は将監山(しょうげんやま)の大地にしっかりと根を張り巨木となり、太い幹からはまた太い枝を青葉も重く張り出しています。 
4月25日。百一歳の母はケアサービスの送迎車から降り、昨日の雨で、蒲公英(たんぽぽ)の綿毛の様な赤茶の桜の落し物を杖で掃き散らし、『今年も桜の季節ね』と云う。まさに「桜蕊(さくらしべ)落つ」。
母にとっての桜は「満開の桜花」ではなく、幾十年も毎朝掃き続けた「落ちた桜蕊(さくらしべ)」だったのです。
人に打ち捨てられた桜の『名残色(なごりいろ)』を求めて染める。 『名残櫻(なごりざくら)』。        
                   ~Ⅰ(あい)氏「日々香日」~
    _そう云えば香道のお席ではこの時期「残花香」を楽しむ。新緑の  
              山に咲き残る一本(いちぼく)の山桜に出逢う喜びを、香に託す優 
              美なお 席。_
    ほのかにして定かならぬに、姿かたち色を通して、
           心で聞く香りを愛でる「心象香」。         
              心で感じた色を映す(うつす)「心象色」。
今、この時、この瞬間、桜が「魅せる色」を「心で感じる」。
         
染めるは座繰り古代絹1綛130g。
さくらしべ70g  水4ℓ煮る。ほのかな甘い香り、濁りのない赤ベージュ。澄んだ染液を抽出する為には沸騰時間を短く、必ず一晩置くこと。
一晩冷却した染液で先ず染める。データーを取る為にも常に同一方法で抽出する。新たに抽出し染めるを繰り返し、「染め(しめ)重ねる」。
染液は絹糸の奥深く浸透し、透明な水となる。


『源氏物語』「藤裏葉」の帖。
「丁子染のこがるるまで染める(しめる)」という有名な一切です。
こがるる想いが燃え尽きるまでという気持ちの表現で、丁子の黄をより深く金茶にした色と想像します。
・芳香をふっと感じさせる色、「香色」。嗅覚にひびく色。
・深く染め上げた想いの色、「丁子色」。
・こがるる想いのこがるる染、「こがるる色」。と濃淡で大別されます。
後世では「媚茶」「薄茶」「濃茶」「焦茶」となります。
何と!焦茶(こげちゃ)です!焦がさないで!こがるる想いは焦げつ
き消えることは無いのです!

「こがるるまで染める」「うつしをしめ給ひ」と「そめる」ではなく「しめる」と読みます。水の中に丁子を入れると、ゆっくりと色が浸み出します。その液に布をつけ、よく絞り、干し、又液につけるという行為を幾度も繰り返したのです。
染めるという文字は氿(はん)が池、水たまりのことで、下は木です。火がありません。現在の染色の様に沸騰させて、香りを蒸発させることがなかったのです。現代的合理性は欠けていても「自然のかたちの中で流れゆく時間」が色を創り出したのです。
幾度浸して、干してという手順を繰り返すかが、その家の伝承で、母から娘への家伝でした。

染色の上手な人を秋の錦(丹白黄)を司る「龍田姫」に、“七夕の裁ち縫ふ方”優れている人を「織女」に例えられました。
「染」も「織」も「香」もみな、女性たちの手で創られ、伝えられた文化です。

草木染を始めた頃、蓬ってどんな色,たんぽぽってどんな色、桜は梅はと,私も知識や技術を次々と追いかけました。そして、幾度の試練と創作の繰り返しの中で、私の草木染は他の人とどう違うのか。悩みは深まりました。そして、「こがるるまで染める」に染色の原点を見たのです。
「技法」だけを習い覚えることは、それ以外の技法を考えなくなることもあります。

名残り櫻の「名残色」は。香りは。
老樹の根元から伸びる若い枝を剪定します。黄の強いしなやかな木肌の色です。染液の赤茶は消え、若枝と全く同じこの色に、生命の無限のよみがえりを見ました。そして、爽やかな風が運び来る様なこの甘さは、遥か古代の野の香りかもしれません。

                  ~染日和「そめびより」に~


香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~     二之記

古代、日本列島に稲が渡来、稲の実りを占う花として桜を植えました。「さ」は早乙女(さおとめ)、早苗(さなえ)と、稲田の神霊を表し、「くら」は古語で「神霊が依りて鎮まる坐」を意味します。古代人にとって、桜は豊穣を示す霊的で、生活に役立つ花でした。
花は櫻 こころの花。
大陸文化を匂わせる梅の花から
ほのか かすかの色香の櫻花へと
日本の心の花は移って行った。
平安朝、『源氏物語』の頃であったという。
匂いさだかならぬ櫻の香り。
色あでやかならぬ櫻花。
咲きそろう美しさ、散り往く美しさ。
散ってこそ 心あでやかに甦える櫻花。
平安貴族にとって、野生の山桜の「桜狩り」から、自宅の庭に桜を植え、「花宴」を催し、和歌を競う行事は財力・権力の象徴となりました。

そして、私のこころの花、桜。ーそれは8月10日。
早朝から大きな枝を払い、庭先に山積みしていました。水気を含む枝は裂きやすいので、さっそく、染め始めることに、太い枝を縦に裂きました。薄いベージュと赤のきれいな木目の中央に、少し窪んだ溝があって、そこにびっしり赤い粉がふいています。  これは何。
確かに水を吸い上げる樹のドクン ドクンという心音が聞えるといいますが、花の色を届ける血管もあったのです。
樹も私たちと同じ生あるものと知ってはいましたが、モノのような存在としてしか見てはいなかったか。
この桜の生命あるうちにと、急いで絹糸を染めました。
   花びらを幾重にも寄せ集めた、薄紅の花簪のような鮮明な桜色。
そして8月20日過ぎるとクリームが強くなり、9月の声を聞くと、白桃色から黄桃色になりました。
科学では「夏、青葉を繁らせ栄養を根に取り込む。冬を越す為、葉を落とす紅葉が始まる。カロチノイド色素が増えるという循環の切り替え時に出会った。」とも説明出来ます。
しかし、私はこの僅か10日余りの桜との不思議な、心おどるやりとりこそ、生あるものの証と思えるのです。
この色と香りは、桜の言葉であり、言霊といえます。
化学では作ることの出来ない、自然が生み出す「時間色(ときのいろ)」。

そして今年、名残り桜の『名残色』と出会いました。

『源氏物語』「若紫」の帖
源氏(当時十八歳)と若紫(十歳の紫の上)は「明け行く空はいといたう霞
みてーー宮人に行きて語らむ 山櫻 風よりさきに来ても見るべく」と北山の満開の桜とともに運命の出会いをしました。その時の桜は、「名も知らぬ木草の花ども色々に散りまじり錦をしけると見ゆる」の中で、シロザクラと別名もある緑の葉と白い花びらの対比も鮮やかな、色に染まっていない深山桜(みやまざくら)です。
「紫の上は葡萄染にやあらむ 色濃き小袿 薄蘇芳の細長に御髪のたまれるほどーー花といえば櫻にたとへても」と「若菜下」の帖で源氏が評したように、紫の上と櫻は美の象徴です。
「野分」の帖「ものに紛るべくもあらず 気高く清らにさと匂ふ心地して 
春の曙の霞の間よりおもしろき樺桜の咲きみだれたるを見る心地す」
この年は常より烈しい台風で、夕霧(十五歳)が見舞いに訪れ、義母紫の上(二十八歳)に惹かれる情景です。
樺桜とは若芽が赤褐色から赤紫になり、花は薄紅。  紫の上の衣、赤紫の
葡萄色(えびいろ)と薄紅の蘇芳の色目(いろめ・配色)と同じです。
知性輝く大人の女性紫の上、その気高く清らかな美しさを色目で表現。
色目は性格、心情をも表現します。
15種ほどの染素材の組合せから130もの色名を、季節別、年齢別に創造した心映えは、身に纏うことで完成となります。
『源氏物語』に描かれた色は、現代人が実感できる無限のイマジネイションカラー。
山桜の美しさを語りながら、実は北山の空間そのものを感じさせる色の重なり。そしてもう一つの『紫上物語』を紡ぎます。

明けの色は緋(あけ)となり赤(あか)となり、万物の始まり、陽の色。
明け色ほのかは、あけぼの色、さくら色。
私の香染『曙櫻(あけぼのざくら)』は、紫の上の美しさを想い、桜の移ろいの時間を感覚しつつ、明るくこっくり染め上げた明けゆく桜であり、茜から生まれたイマジネーションの桜です。

『源氏物語』「花宴」の帖   紫式部は愛情溢れる筆で、桜の精、源氏を描きます。   「櫻の唐の綺の御直衣 葡萄染の下襲しりいと長く引きて皆人はうえの衣なるに あざれたる大君姿のなまめきたるにていつかれ入り給ふ 御さまげにいと殊なり 花の匂ひもけおされてなかなか事ざましになむ」
桐壺帝は櫻の宴を設ける。藤壺を求めて局に迷い込んだ源氏は有明の月のいたずらか、女君と一夜をともにする。その女君は弘徽殿女御の妹で、春宮へ
入内する朧月夜の君でした。皆人は御裳着の祝いで改まった袍を着ていたが、源氏だけはくだけた普段着の直衣姿であった。それも裾を長く引いた葡萄染の下襲に、女性が着るような唐の桜襲の直衣であった。
櫻襲の源氏の君は 月あかりの中の櫻の精のようではありませんか。
櫻の精が身に纏うにふさわしい衣とは、どの様なものなのでしょう。

「綺(き)」という練りの少ない、撚りのない古来の糸で織りあげた布「絹」は、まさに「綺布(きぬ)」でした。その艶やかで美しいさまを「
綺麗」と表現したのです。
「櫻の唐の綺の」とは、極細の綺の糸で浮き模様織をり込んだ薄絹。
表は白、裏は紅を合わせた衣となります。
表から裏の色が透けて垣間見える色。二枚の布の絶妙な重ね色が櫻襲です。

二つの異なる色、白と赤が出会い、薄絹を透かして見える色はひとつ、繊細にして、この上なく優美なさくら色。
「色」を透過光の様に重ねて捉え、その色の交じり合いが生み出す繊細な「光彩ハーモニー」、それが「襲(かさね)」です。
—千年の昔に創造された日本の美です。
私の香染『朧櫻(おぼろざくら)』は、月の光を受けた桜の精を思い優しくフェミニンな茜の、おぼろな櫻です。

                   ~染日和「そめびより」に~



香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~   三之記

ある年の4月8日、皇居のお濠を渡って大手門から三の丸尚蔵館へ。上皇后陛下喜寿記念特別展「紅葉山御養蚕所と正倉院裂復元」展を拝観。日本の絹文化そのものの存在に、改めて心打たれました。
平織の絹、古代には絁(あしぎぬ)とよばれた裂地は、あらゆる絹織物の基本。奈良時代、調(みつぎ)として地方諸国約50ヶ国から中央へ納められた純国産の絹織物。律令国家の税金の役割を果たしました。
多摩川沿線に「調布」、「砧」の地名があるのも名残りでしょうか。
この古代の絹とは、現代の一般的な繭からの生糸より、はるかに細く、繊細でしなやかな質感、そして糸一本の中での太細の変化と平らかな断面。古代の絁の風合いを蘇らせるには、丹念な手作業による糸造りが必要。
正倉院御物に、一点ある縑(かとりきぬ)は極細の生糸を二本引き揃えた経糸に緻密に「固く織り絹」で、日本独特の「羽二重」の基になっています。

皇室のご養蚕は、昭憲皇太后より歴代の皇后へと継承され、美智子上皇后ご養蚕の繭「小石丸」から紡がれた絹糸は正倉院宝物の裂復元に貢献しています。日本の絹文化、染め織りにたずさわる一人として、目と心に受け止めてきました。
私は平成17年から20年迄の4年間、貞明皇后蚕糸記念科学技術研究助成「古代絹の今日的商品化のための体系的研究」と一心同体であり、古代絹(綺の糸)の長年の探究に、科学的裏付けや実証を得ました。
香りや薬効を損なうことなく、糸奥深く浸透させる『香染』という日本が世界に発信する一千年の文化は、古代絹(綺の糸)がなければ創り上げ、表現することがかないませんでした。
日本の絹文化を守り産業として発展させる母体である「大日本蚕糸会」は
常陸宮殿下を総裁に戴き、明治以来、公的活動を続けています。「貞明皇后蚕糸記念褒賞」をはじめ、日本の絹文化へ貢献、功労者へ年度毎に懸彰されます。平成21年11月「蚕糸有功賞」を頂くことができました。

源氏物語の原文に秘められる、色と香りの謎解きから、現代の染織、創造を行い続けている私は、平安絹の完全復元が目的ではなく、千年の文化からの現代の美の創造をめざしています。

『源氏物語』の中に絁(生絁・すずし)の文字は登場しません。ではどんな布の名か?「生絹(すずし)」と「綺(き)」です。
養蚕の始まりは、4500年前中国、黄の国の妃「西陵」が一粒の繭から長い糸を繰れることを発見したと云われています。
現在、私もこの原点に習い、一粒の繭から糸を紡いでいます。『SILK TWEED』と名付け、商標をとり、綺の糸と併せて創作しています。
蚕が繭を作るときに最初に吐く糸(キビソ・生皮苧)は僅か3%程ですが硬く繊度が一定していないので、座繰りの時、取り除かれ、絹紡糸等に利用されます。私の「一粒の繭糸」は余すところなく、美しく、細い紡ぎ糸となり「香染」されます。手仕事好きな方が増え絹糸の美が広がることを望みます。

日本神話でも『古事記』に登場する蚕は、食物の神オオゲツヒメノカミ
からうまれ、稲や粟と同様、重要な農産物でした。
今日でも、伊勢神宮では五月と十月の年二回、天照大御神に和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)の神御衣(かんみそ)をお供えする「神御衣祭(かんみそさい)」が行われます。「神嘗祭(かんなめさい)」と共に古く、由緒あるお祭りです。
『日本書紀』には、雄略天皇が、お妃に蚕を飼い、蚕業振興をしたことが記され、今日の歴代皇后陛下の「御養蚕」に引き継がれています。
「和妙」はお祓いをした「赤引きの糸」で織ります。「赤引き」の「赤」とは、明らかで、清らかの意です。清浄な中で育てた蚕から手引きした『白い生絁(すずし)糸』の意味です。
一千年前の絹糸も、勿論、繭から指で極細の糸を引き出した「座繰りの白い生絁糸」です。

3世紀『魏志倭人伝』に「蚕桑」という言葉が見られます。       
奈良時代、養蚕は国家事業として広がり、平安朝では、染織技術と共に開花、国内に優れた舶来品も多く、日本の絹文化は円熟へと向いました。
平安王朝人が、どの様な布を着、どの様な色彩につつまれて暮らしていたか想像しながら、今、私が入手できる最良の平らかなる形状の日本の古代絹を手染し、手織し、現代の創造としたのが佐藤幸香の「香染」です。

その布に、触れ、纏えば、源氏物語の陽の光や、風の匂いまで、物語の人物の心情のように、体感できる様に思えてきます。
そして千年の知恵を知り、美意識も共有することができる。
「香染」とはそのようなものとして、触れて下さい。

*絁(あしぎぬ)
平らかな形状の絹糸は丸糸に比べ、三倍程の幅のふくらみをもち、経、横に組み合わされることで、薄く平らで滑らかな布になる。江戸中期の熨斗目にも使われていたことからも、撚りの少ない、扁平な糸が、日本の絹糸の基本になっている。
源氏物語に描かれる「櫻の唐の綺の」綺の糸(絹糸)には諸説あるが、繊維が平らに並んだ糸だからこそ、透過光で見る色彩の美の表現が可能となった。
日本の襲の美。その美しさは「綺麗」、「綺羅綺羅」、「綺羅星」と最大の賛辞の語に思いが託されています。
繭を煮て、糸口を引き出し、何本か合わせながら、木枠に繰り「生糸」とする方法は人と絹が出会って数千年を経た現代でも変わりません。
糸が重ならない様、木枠の角で一本一本並べる様にゆっくり繰る為、撚りの少ない平らかな糸となる扁平糸(綺の糸)。
  生糸で織った平絹「生絹(すずし)」となります。
  綺の糸で織った綾絹「綺布(きぬ)」となります。
熱・水・アルカリに溶けにくいタンパク質(膠質)のセリシンは絹糸の表面25%を成し、繊維と繊維を接着している。
高温で煮たり、強アルカリ(木灰や石鹼など)でセリシンを除去すれば(精錬・せいれん)、繊維はバラバラとなり製織が困難となる。
古代絹がセリシンを多く残している特性だからこそ、水から抽出した染液で染め(しめ)重ねることが必要であり、明度の高い、香り立つ優しい「香染」となります。

                  ~染日和「そめびより」に~




 


          


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