現役法大生による、驚愕の『ファイトクラブ』解説。
言わずと知れた名作、『ファイトクラブ』。
一生に一度は観ておきたい作品ですが、実はあるシーンで,男性器が画面いっぱいに映し出されていたことをご存じでしょうか。
実はその他にも、『ファイトクラブ』には多くの方が見落としてしまいがちなカラクリがたくさん仕掛けられています。
ぜひ最後まで御覧ください!!
本題に入る前に、あらすじを説明してさせて頂きます。。
(すでに知っている方は、とばしてください)
平凡な会社員の主人公「ジャック(自身がそう呼んでいる)」は、何不自由ない暮らしを送りつつも満たされない感情を抱き、不眠症に苦しめられていました。
「世の中にはもっと大きな苦しみを持った人もいる」と精神科医に諭されたジャックは、末難病を抱えた人々が集う患者会に、患者と偽って参加を繰り返すようになります。
しかしある日彼は、自分と同じく偽の患者としてさまざまな患者会に現れる女性・マーラの存在に気づき、我に返って患者会に行くことをぱったり辞めました。
ある日ジャックは出張中に、自分とは正反対のワイルドな男タイラー・ダーデンと出会い友人になります。「力いっぱい俺を殴ってくれ」と主人公に頼むタイラー。
ボロボロになるまで彼と殴り合ったジャックは、肉体的な痛みの中で、ようやく生きている実感を取り戻したと感じるのでした。
次第に2人の殴り合いに興味を持った人々が集まり、地下室で1対1の喧嘩をする秘密結社ファイト・クラブが設立されます。 その一方で、ジャックを通じてタイラーとマーラは仲を深めていきました。
ところがある日ジャックは、タイラーが何か計画していることに気付き始めました。 彼らは次第にテロ集団へと姿を変え、「騒乱計画(プロジェクト・メイヘム)」という社会破壊工作を実行に移そうとしていたのです。
(『ファイト・クラブ』のあらすじやキャストを紹介!【ブラッドピットが大暴れ】 | ciatr[シアター]より。
ここから本題です↓
私は主に、人の認識や行動などに関わる理論をもとに映画分析を行っています。理論も映画も現実の事象を反映させているという点で、2つは重なりあうことが多くあるのです。
この解説では、ロバート・ブライによる『メソポエティック運動』を映画と結び付けて分析をさせて頂きます。
ざっくり説明すると、『メソポエティック運動』とはベトナム戦争後、ロバート・ブライによってアメリカで提唱された運動です。
ブライは、戦後の男たちはナヨナヨした根性なしばかりであると訴え、そうした男性のことを「ソフトメイル」と呼びました。ソフトメイルの男性たちは男らしさに欠け、争いよりもショッピングなどを好みます。
「このままではだめだ、男らしさを取り戻そう」というのが彼の主張です。
さて、彼によるとソフトメイルが生まれる原因は大きく2つあります。
一つは「儀式の不在」、もう一つは「父親の不在」です。
ブライは、かつては儀式(割礼や争いなど)が子供を漢にしたが、現代にはその儀式がなくなっていると主張しました。また産業革命により男が働きに外に出て、子供は男らしさを学ぶ機会が減ってしまいました。その代わり母親との時間が増えたことで、ソフトメイルになってしまったのです。
↑(後の解説で説明するため覚えておいてください!)
それではこの理論をもとに映画を分析していきます。
この映画の主人公ジャックは、ブライのいうソフトメイルとして描かれています。映画のセリフにも「最近の若者はポルノよりもショッピング」と語るように、自身を含めソフトメイルの存在が示唆されていることがわかります。これは後に分かることですが、ジャックには父親がいませんでした。これはブライのいう「父親の不在」と当てはまります。
そんな中出会ったのが、タイラーです。彼はジャックにはない「男らしさ」を持っており、とても刺激的でした。
彼らは別れ際に合意の上で殴り合いをし、後に人々が戦うために集まる「ファイトクラブ」を設立します。
そう、このファイトクラブこそが、ブライのいう「儀式」なのです。
ジャックはクラブでの戦い、つまり儀式を通して自身の男性性を強化していきます。
(ここからはネタバレ注意です)
物語が進むにつれて、ジャックは異変に気付きます。
驚くべきことに、タイラー・ダーテンという人物は現実には存在せず、自身が作り上げた幻想でした。正確には、自身がタイラー・ダーテンだったのです。
つまりタイラーという人物は、ジャック(自身が自身をそう呼んでいる)というソフトメイルが作り上げた「男らしい理想的な男性像」に過ぎなかったのです。これは男らしさを学ぶべき理想像が不在であるがゆえに、ジャックが自身の中に理想の「男」を作り出す必要があったのだと考えられます。
実は、このジャックとタイラーが同一人物であるという伏線はいくつかありました。例えばジャックは極度の不眠症ですが、これはタイラーがジャックの体を借りて夜の間行動していたからです。またタイラーとマーラがセックスをしている時には、ジャックは股間の前で洗濯物のシミをこすり落としていましたが、これはジャックとタイラーの体が連動していることを示唆しています。
このようにジャックは自身の中でタイラーという漢の理想像を作り出すことによって、自身の男性性を強めていきました。
しかしその一方で、今度は強すぎる「男らしさ」を抑えられなくなります。しばしば男らしさは暴力性と結びつけられますが、タイラーという男性性は暴走し、街を破壊する計画を立てはじめました。
主人公ジャックは計画を阻止すべく奮闘し、最後は自身の顔を打ち抜くことでタイラーに打ち勝ちました。これでついにジャックは自身の男性性を完全にコントロールしたことになります。
しかし残念ながらあと一方遅く、無念にもタイラーの仕掛けた爆弾が作動し、最後はジャックとマーラのいるビルの崩壊とともに映画はエンディングを迎えます。
ただここで一つ疑問が残ります。
本当にジャックはタイラーを克服したと言えるのか。タイラーは消えたものの、結局はビルの爆弾は作動して、ジャックとマーラは死んでしまいます。
答えは、爆弾が作動したシーンにありました。
爆弾が作動し、閃光が起こるほんの一瞬、画面全体には男性器が映し出されます。(地域によってモザイクだったり、なかったりするみたいです)
男性器と言えば男性性の象徴。
またタイラーは映画館で働いている際に、男性器を一瞬映すというイタズラをしていました。
つまりこのエンディングはタイラーこそが勝利したと解釈することができるのです!!
以上がファイトクラブの解説になります!
監督のデビット・フィンチャーは、このエンディングに強いメッセージを込めているのではないでしょうか。男性性の暴走への戒めなどいろいろな解釈ができると思います!
ファイトクラブにはその他にも、クレジットタイトルが「ジャック」ではなく「僕」と表示されていたり、がん患者の会に参加する際に一瞬バグのようにタイラーが映るなど、面白い仕掛けがたくさんあります!
是非もう一度観なおして、今度はじっくりと細部に注目してみてください!
参考 マッチョになりたい!?世紀末ハリウッド映画の男性イメージ 第五章「男」になるためのイニシエーション 『ファイト・クラブ』