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戻らない・戻れない。だからこそ。

「鬼滅の刃」にすっかり魅了されてしまった。アニメを観て、コミックを全巻買いそろえて、小説も読んでしまった。何度も読み返して、何度も同じところで泣けてしまう。自分でも驚くくらい、すっかりファンになっている。私にとってどうしてこれほどまでにこの作品が響くのか、改めて考えてみた。

まずこの作品で私が素晴らしいと思うのは、登場する主なキャラクター全てに、それまでの物語があることだ。主人公はもちろんのこと、共に戦う仲間たちにも、敵役にさえも、そうなるに至った経緯がある。その人をその人たらしめる理由があり、それらに無理がない。非常にしっかりとしたそれまでの物語を紐解きながら、一人ひとりのキャラクターに、どれほど作者が深い愛情を注いでいるかを感じさせられるのである。

そんなキャラクターの中でも、身体能力が著しく高く、非常に個性の強い「柱」と呼ばれる人たちと主人公との関係性に、私は何か既視感を覚え、はたと気付いた。以前、学びの場(そこを修行の場とも呼んでいた)に顔を出していた頃、私以上に学びを進めていた人たちは、私にとってはまるで、鬼滅の世界の柱たちのような存在だったのではないかと。たしかに皆個性豊かで、それぞれの視点から私の伸びしろを鍛えてくれ、私の成長を自分のことのように喜んでくれた。共に学び、共に成長してくれた人生の先輩たちと「このままずっと一緒に学び続けよう、そして私もこの人たちのようになって、自分の後から学ぶ人たちを導けるようになろう」と思っていた。あの頃の私たちは、自分たちの鍛錬によって、世の中が必ず良くなると信じていた。年齢も立場も住むところも異なる者どうしだったが、学びの場では一人の人間どうしとして、対等に向き合うことができた。

しかし皮肉なことに、学びを積めば積むほど、自分が目指すものを見つめれば見つめるほど、その学びの世界に留まり続けることは出来ないことに気付いてしまった。先輩たちも一人、また一人とその世界を離れ、私自身ももう、そこに戻ることはないだろう。あの人たちと共にいられた時間は、もう戻ってこないのだーその事実を鬼滅の世界を通して、確認させられたような気がして、とてつもなく悲しくなった。

失われたものは戻らない。これは現実世界でも、鬼滅の世界でも同じだ。しかし、あの学びの場で経験したことは、今も、これからも、たしかに私の一部である。もう戻ってこない、替えの利かない時間だったからこそ、今思い出しても心が動かされるのだ。そもそも、今もこれからも、取り戻せる時間などない。あの時とはまた違った大切な時間を生きていることを感じながら、前に一歩ずつ進もう。そんな決意をさせてくれた「鬼滅」との出会いに、改めて感謝している。


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