見出し画像

サンタ・エビータの謎

「レコレタ墓地で感じた私の疑問:なぜエバ夫人とペロン大統領が一緒のお墓に居ないのだろうか???」ー この謎に Sr. Joko が答えてくださいました!
ミステリアスなエビータの話は、連載ドラマにもなるようで。。面白そうです。。。

7月26日からだけど。。。”ST⭐️R+”って何だろう?(上の写真 広告)
どこかのチャンネルかな?。。。アルゼンチンはTVのチャンネル数がとにかく多いのです‼︎ ハッキリした数は分かりませんが、60チャンネル以上あったのは確かです。それにプラスNetflixに、YouTubeですから、何を見ようかと迷ってしまいます。


サンタ・エビータの謎。。。に話を戻しましょう!


Escrito por: José A. Napolitano
Guía de Turismo registrado en el Ente de Turismo de Buenos AiresUniversidad Nacional de Avellaneda

エバ・ペロン(1919-1952)は、母親と4人の兄弟と一緒にレコレタ墓地のとてもシンプルなBOVEDA(ボベダ)に眠っています。エビータが眠るボエダは墓地の中で最も多くの人が訪れるお墓で、沢山の観光客が写真を撮ったり、いつも人々によってお花が手向けられたりしています。 エビータは、地下2階、地下5メートルくらいのところに眠っており、ボエダの入り口、そして棺も鉄格子で守られています。

エビータが眠るボエダ


エビータは1952年7月26日に亡くなりましたが、すぐここに遺体が安置されませんでした。実は、亡くなった日から24年後にここに持ち込まれたのです。

亡くなった時、遺体は彼女が働いていた審議評議会の建物に安置されました。5日後、ペロンは彼女の遺体の防腐処理を要請しました。そして、8月9日と10日は、棺は国民議会に置かれ、その後CGT(労働総同盟)の建物に運ばれました。約300万人の人々が遺体に別れを告げる為に訪れました。CGTでは、遺体を良好な状態で保存するための作業が専門家によって続けられていました。

1955年9月16日、軍事クーデターが発生し、ペロン大統領政権は倒されました。そして11月23日、軍の一団がCGTからエビータの遺体を持ち去ってしまったのです。エビータはペロン主義の象徴とされ、ペロン主義的な物すべてと同様に、人々の記憶から消し去られなければならなかったのです(ペロンとエビータの名前を口にすることさえも禁止されていました)。

遺体を盗んだ軍人は、遺体をどうしたらいいか分からなかったのか、小さなトラックに乗せたままブエノスアイレスの様々な場所へ移動しました。不思議なことには、駐車しているトラックの下に、いつも花やキャンドルが置かれたのです。だからその軍人は、遺体を別の軍人の家に運んびました。しかしある日、ペロニスト達がエビータの遺体を奪いに家に入って来たと思い込んだ軍人は、間違って家に帰ってきた妊娠中の妻を撃ち殺してしまったのです。

遺体は、最初に盗んだ軍人のもとに戻されました。目撃者によると、この軍人は遺体に執着し、自分の職場のオフィスに置いていたそうですが、遺体と性的関係を持ったとも言われています。それを知ったアランブル将軍(大統領)は、担当を別の軍人に変え、遺体を埋葬するように命じました。

エビータの遺体はイタリアに運ばれ、別の名前でミラノに埋葬されました。そしてエビータの遺体……アルゼンチンで最も重要だった女性の遺体は、14年間、誰にも知られることはなかったのです。

1970年、ペロニストの武装集団が、以前エビータの遺体を盗むよう命じたアランブル将軍を誘拐し、エビータの発見を要求しました。軍隊の救援は間に合わず、アランブル将軍は暗殺されてしまいました。現在、アランブル将軍もレコレタ墓地に眠っています。

1971年、軍はスペインに住むペロンにエビータの遺体を返還しました(この時ペロンはアルゼンチンから追放され、17年間帰国を禁じられていました)。遺体には、指が切断されたり鼻が潰されていたりなど、さまざまな損傷がありました。ペロンは1974年に遺体の修復を依頼しました。

その後、ペロンはアルゼンチンに戻りましたが、エビータの遺体は一緒ではありませんした。そのため、またペロニストの一団が、今度はアランブル将軍の遺体を誘拐し、エビータの遺体をアルゼンチンに取り戻すよう要求しました。

その後ペロンが死去した時、エビータの遺体はアルゼンチンに戻って来ました。そしてエビータとペロンの遺体は、一緒にキンタ・デ・オリボス(アルゼンチン大統領が在任中に住む邸宅)に運ばれました。

しかし1977年、別の軍事政権が誕生した時、遺体はまたオリボスからを運び出され、エビータの遺体は家族に渡されレコレタ墓地に運ばれ、ペロンの遺体はチャカリタ墓地に運ばれました。

1987年、ペロン大統領の墓が冒涜され、彼の両手が切り落とされました。
この「ペロンの手の盗難」と呼ばれる事件は、結局解決しませんでした。そして2007年、ペロンの遺体は、エビータとよく行ったサン・ビセンテ(ブエノスアイレス州)の旧別荘に運ばれました。現在そこには博物館になっています。

今日でも、エバ・ペロンに関する本や新聞記事、映画、ドキュメンタリーなどが書かれています。そして今年は、同名の本を原作とする連載ドラマ「Santa Evita」が始まります。この作品は、最初の死より辛いとも思われる二度目の死を描いたものです。

「Santa Evita」(予告編)



私は、エビータの遺体がレコレタ墓地にあるのは家族が希望したからなんだろうと想像しますが、それでも”どうしてだろう?”と考えていたら……
結婚式で…
……Hasta que la muerte nos separe…(死が二人をを分つまで…)
と誓うのですねカソリックでは……

🙄なるほどね〜🙄🙄🙄………多分、これは冗談だね。。。

結局のところ、決まりはないようです。歴代の家族と一緒なのか、夫と一緒なのか、空に散骨なのか。。。

7月26日までに ”ST⭐️R+” を探さなくては‼︎

     


<ボキャブラリー>

VELAR(hacer VELATORIO):故人(死者)の遺体のそばで「別れを告げる」ために時間(数時間または数日間)を過ごすこと。

BOVEDA:(この場合) 数人分の埋葬を想定した葬儀用モニュメント。

EMBALSAMAR: 死体を腐敗から守るために様々な手段を用いること。

UNDERGROUND(地下):土壌線より下にある土地。

SHIELDED:弾丸や火などから、特殊な素材で保護された物体。

BURIAL:死者を埋葬するための箱。

COUP OF STATE(国家改造):通常、軍隊または反乱軍による集団が、既存の当局を追い出して権力を掌握すること。


<スペイン語原版>


NOTO初心者の私、”スキ”、”フォロー”数が増える嬉しさ・楽しさをを実感中❣️ たった一つの ”スキ”がこんな幸せな気分を与えてくれるなんて知らなかった。。。 楽しみながら、アルゼンチンから情報を発信していきます! よろしくお願いいたします。