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俳句の面白み|俳句修行日記

「俳句」とは、俳優のセリフのようなかっこいい決め言葉だと思っていたが、「滑稽な文句のことじゃよ」と師匠。「『俳』の文字は、人に非ざると書く。常人には思いもよらない文言こそが、『俳句』かもしれんな」と。

 聞けば、太古の和歌にその萌芽はあり、古今集に誹諧歌の部立がなされたことで、俳句へとつながる俳諧の道が開けたのだと。その「俳諧」は、戯れを表す文字を重ねたもので、そこから、「面白み」を本質とする俳句が生まれたという。
 残念な気持ちになって「お笑いの一種ですか?」と聞くと、「そのようなもんかもしれんな」と、師匠高笑い。

「しかしそれは、嘲笑とは別のところに在るもんぞ。俳句における笑いは、そしるものであってはならない。そうしたものは、己の優位性を主張するための道具であって、その笑いは、固定観念に基づく狭い世界への固執を表すもんじゃ。」

「『面白み』とは、不思議を表す『をかし』に結びつく概念じゃ。笑えることに限らず、心動かされるもの全てをこの一言で表現する。それは、和歌が育んできた日本人の生き方の基礎となるもんで、日常にひそむ変化に目を遣る時の合言葉として活きてきた。つまり、千篇一律と見える世界に仕掛けられた『綻び』、即ち、感動の端緒を発見するために与えられた呪文なんじゃ。」

 というわけで、「代わり映えがしない句が多い」ボクは、俳句を詠む前に必ず「おかしくあるか、ヨシ!」と、対象に向かって指差呼称することになった。たとえ泣きたい時であっても…
「お達しに汗して顔を赤らめて」(つづく)