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平凡のすすめ|俳句修行日記

 新入りの俳句が『月並み』と評されたものだから、渾身の一句を提出したボクは『太陽並み』の誉れを授かるだろうと期待していた。ところが評価は素通り。これはおかしいと思い、「せめて星並みにしてくれてもいいじゃん」と口をとがらせた。
 怒りおさまらぬまま、帰って師匠に報告すると、腹を抱えて大笑い。ボクが銀賞のようなものだと思っていた『月並み』は、陳腐な俳句を指すものなのだと…

『月並み』の評は子規が定めたもので、かつて月例で行われていた『月並句合』における句を揶揄したものである。当時の句会は、式目と蕉風の呪縛からくる懐古が幅を利かせ、自由度が低下していたという。そこに詠じることを陳腐と断じたものなのだ。
「しかし…」と、師匠は言う。人目を意識した奇抜さの評価が定まらぬ現代において、『月並み』の再評価が求められていると。

 少なくとも、『月並み』の中には学びがあった。けれども、求道ゆえに生じる硬直性を、目まぐるしく変わる時代が『平凡』と遠ざけた。

 師匠のたまう。「平凡の中にこそ俳句がある」と。
 ひとは、平凡に徹してはじめて孤高を保つ。その時ようやく視界が晴れて、いつもの景色に真新しさを発見するのだ。しかし、斬新さにこだわる者は、作為でもって他者を惑わす。しかも、求める『充足』を他者に委ねて…

 提出した俳句を手に取って、「なるほど、これは評価に窮するな」と、よく分からぬ師匠の意見。そして、「毒にも薬にもならんところは大きな進歩じゃ」とボクを困らせ、さらに続ける。「おまえの俳句は平凡を貫け」と。


『俳諧大要』を開くと、『月並風に学ぶ人は多く初めより巧者を求め婉曲を主とす』とある。『月並み』とはむしろ、『新奇』へのアプローチだったのではないかと言うと師匠、「バカもん!」と切れた。
 ありふれた場に臨めば、常人は自らの能力を過大評価して脱線していく。『月並み』とは、そこに生じた凡庸な自己顕示欲をあぶり出したものなのだと。(修行はつづく)