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動かざる世界|俳句修行日記

 知人に俳句を披露したところ、「動く句だね」との評価。きっと心が動かされたのだと思い師匠に自慢すると、「アホか」言われた。聞けば、その言わんとするところは、子規の『俳諧大要』に明らかだと。

『趣向の上に動く動かぬといふ事あり、即ち配合する事物の調和適応すると否とを言ふなり。例へば上十二文字または下十二文字を得ていまだ外の五文字を得ざる時、色々に置きかへ見るべし。その置きかへるは即ち動くがためなり。』(俳諧大要 第六 修学第二期より)

 この条を発見し、要は「遊びが多い句である」とされたことを知って、ショックで固まった。そんなボクに、「手は動かさにゃ仕事はできん!」と、頭の上からカミナリ。我に返ると、「余計なことを言わせるでない」と、師匠の大きな溜息…

 師匠にとって人生の理想とは、ひとつたりとも無駄な言葉を発しないことだという。そのために取り入れた俳句は、迷いを明らかにするツールであって、勉強と観察が不十分な状態で立ち向かえば、たちまちに迷妄を宿し、『動く』状態が現れるという。
 もっとも、神は常に謎かけをする。「ここにどのような言葉を用いれば、この世界は最も輝くだろうか」と。言葉を吟味し、動く状態から脱することは、本来の輝ける世界に転生することを意味すると、ボクの師匠は考えているのだ。(修行はつづく)