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7mmの本意|俳句修行日記

 色付いた山野を駆け巡り、目の前に落ちた木の葉を拾い上げると、『7ミリの青さ残して落葉かな』と詠めた。ちょっといい気分になって、さっそく披露。すると師匠、「7ミリとは何じゃ?」と聞く。「実際の寸法ですよ」と答えると、「おまえは『写生』を取り違えているようじゃな」と。

 7ミリ・・・これこそが、俳句で禁忌とされる『説明』に当たるのだという。それは、3ミリであろうが4ミリであろうが句体に影響を与えない。つまり、単に体裁を整えるための、意味をなさない装飾なのだと。
「7ミリが担う本質は何じゃ?」

 ボクは、その動かし難い事実こそが『本質』なのだと思うのだが、師匠は、「輪郭をなぞって何とする?」と渋い顔。物質本位であれば『写生』は形状説明で事足りるが、俳句の世界はそうじゃない…
 師匠のたまう。「それは、視覚がとらえた物事の一面に過ぎん。」

 俳句の『写生』は、物事の本質を写し取ることに始まる。古くから『本意(ほい)』と呼ばれたそれは、視覚だけではなく、科学や歴史が積み上げてきた情報をも加味して明らかとなる。その時、心が動いて言葉を紡ぐ。
「本意に触発された己の宇宙、それを写し取って『俳句』が生る。」
 そこに、心のありかを示さない『虚飾』は不要だと。

 あらためて、木の葉をとって詠みなおす。『1ミリの青さ残して落葉かな』(修行はつづく)