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十七文字の宇宙|俳句修行日記

 スケッチに俳句を添えるという会合があって、かつて神童とも呼ばれた絵画能力を発揮しようと、力を入れた。発表の場になってそれが掲示されると、誰もが首を傾げながら立ち止まる。「どうですか」と声をかけると、そそくさと背を向ける人々…
 何のコメントも頂けなかった色紙を持ち帰り、机の中にしまい込もうとすると、「なんじゃソレは!」と、師匠の声がとどろいた。

 色紙には、赤く塗りつぶした海の絵に梅の句を添えたのだが、「理解できん」と師匠言う。仕方ないので、ピカソに心酔した昔を物語り、「絵画は写真とは違うのです」と。
「やっぱりおまえには、俳句は無理かもしれんな…」
 師匠しみじみつぶやく。

 写生の基本は、「現実を受け入れることにある」と、師匠のたまう。自分の色を出すことに執着する者は、現実との乖離に苛まれ、やがて、脳裏にあった己の姿すらも見失ってしまうものだと。
 俳句は、そんな生き方への警鐘を含む文芸だという。

 十七文字・・・その制限下では、仮託による表現幅の拡大が試みられる。ゆえに、俳句の宿命は『比喩』にあるとも言え、さもなくばそれは『標語』か、意味のない言葉の羅列に成り変わる。
 俳句は、十七文字の宇宙である。冗長な言い分をとどめ置く場所など、持ち合わせてはいないのだ…

「比喩とは、神の造形物への重ね合わせじゃ。それに依って心象を整形することこそが、『写生』である。自己都合で、その造形物をゆがめておれば、やがて宇宙に歪みが生じ、足を取られることになるもんぞ。」
 つまり『写生』とは、現実を受け入れることから始まるのだと。そしてその向こうに、あるがままの生き方が存在する…(修行はつづく)