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千句万句を刻むこと|俳句修行日記

 歴史の本を読んでいると井原西鶴に行き当たり、「矢数俳諧」を知った。創始者となった西鶴は、一昼夜に二万もの句を吐き続けたという。四秒に一句と割り出して驚いていると、数を重視する文芸こそが俳諧なのだと、師匠のたまう。

「それは、俳諧を生んだ連歌が、信仰と結びつくことによって整備されてきたからなんじゃ。つまり、捧げものとして揃える器を求めた結果、数に意味が与えられることとなった…」

 師匠が言うには、当初は千句講などと称して、多人数で神仏に手向けられていたものなのだそうだ。それが、いつしか苦行と結びつき、自らを研鑽する道具ともなった。俳諧の祖と呼ばれる荒木田守武も、『独吟千句』をまとめあげ、求道者として後進に多大な影響を与えている。

 ところで西鶴は、数の多さにこだわった。限られた時間の中で競う考えは、三十三間堂の弓術奉納「通し矢」に倣い、その名も「矢数俳諧」としたのである。

「しかし…」と、師匠は言う。
「社会形態も信仰形態も変化を遂げた今、ひとはそれぞれのペースで神前に向かう。そこでは、量の多寡は意味をなさない。天上に届くのは、魂だけなんじゃからな。」

「西鶴は、詠むという行為そのものに魂を込めた。しかし、駆け出しのおまえは、ひとつひとつの言葉によって魂を磨かにゃならん。」
「魂を磨くってどういうことすか?」聞くと師匠、「己の姿を探し求めることじゃ」と。
 ということで、ボクは言葉を拾い上げる「季寄せ担当」ということになったのだが、師匠のハードル高すぎ。今日もダメ出しされて、ビルの谷間に悲しくほえる。『たちまちに夜長となって彷徨える』(修行はつづく)