信念なきポエジー|俳句修行日記
「俳句は言葉遊びに過ぎない」と言う奴がいて、論破を試みたが、返り討ちにあった。俳句というものは、思いを置き去りにして並べられた「言葉のパズル」なのだろうか。
師匠に聞くと、「なかなかオモロイ表現じゃな」と笑う。「笑ってる場合じゃないですよ」と言うと、「放っとけ」だと…
思いがあふれ出す『詩』と比べたなら、たしかに俳句には昂りがない。十七文字の制限下に、目に映る景色を押し込めていく。
「ポエムなら、自らの世界観を他者に提示せにゃいかんのじゃろうが、俳句は、とりまく世界を写し取るだけでええ。ポエムが求めるもんは『他者を動かす言葉』かもしれんが、俳句にそんなもんは必要ない。」
師匠のたまう。「ポエムを綴るには信念が必要じゃ。」
「じゃあ、俳句に信念は必要ないと???」
師匠が言うには、さらなる高みを目指す時、信念はむしろ目を曇らせる。俳句を詠むその時には、いかなる信念からも距離を置き、こころを空っぽにしなければならない。その上で対象物を見つめ、それを言葉に置きかえていく。
「それは、神の手になる『創造物』を、自らの心の中に再構築していくことに他ならない。俳句を詠むということは、神々の世界を漫遊することじゃ。」(つづく)