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不自由を感じられたから


いきなり何もないところから「自由になりたい」なんて思わない
自由になりたいのは、不自由だったことがあるからだ。

長らく、学校組織、教会という組織、会社…に居続けた僕はたくさん傷つき、「自分」という大切な存在を守るため たくさんの術を身につけてきた。
まわりと一緒で在ることが美しいその世界は、自身の選択を惑わせる。
 振り返ると、いつも か細い本心の声は僕の耳元でささやいていた。
過ぎ去っていった時は二度と戻ってはこないけれど、
今はとても素直になれていると思うんだ。

自分らしくない選択も悪くなかった
その経験は、僕が求めているもの を容易に教えてくれるからだ。

人に好かれようとすれば、短時間で相手との関係を良好にできる
期待に応えようとすれば、信仰的な青年だと感心してもらえる
手堅い会社へ就職すれば、立派だと尊敬してもらえる

本当のところ、僕にとっては全ていらないものだった。
手に入れたいものは何か?
それはいつも自分の中からしかでてこないって思う。

いつでも人生を再スタートできる
「こう生きたい」と願えば、
明日からでも、今からでも。
選択はいつも目の前にあるから。

 どんな生き方を選んでいくか

僕らしくいること。
そしてそんな僕を必要としてくれる人に、仕事に、時間を使うこと
なんて自由なんだろうかと思う




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