シロクマ読書感想文⑤ 高田直樹「なんで山登るねん」河出書房新社

1970年代に大学山岳部で活動し、その後海外遠征隊にも参加している著者の「自伝的登山論」である。

「なんで山登るねん」という強烈なタイトルではあるが、山に登る人は大体その理由を考える前に登っているように思う。

するすると引き込まれるような口語体で綴られる登山録は、一週間以上山に滞在することが前提で、かまくら生活や岩登りや釣りなど、山に登って何をするか、その目的は様々だ。登山道の整備や登山道具の軽量化、携行食糧の進化が進み、大人数で荷上げをしながら登るスタイルが主流ではなくなった現代からすると、術懐されるエピソードには驚かされるものが多い(単独で登山をする人の本ばかり読んできたからかも知れないが)。

冒頭の割と早い段階で山岳部の上級生が雪山で滑落死しているが、その死についての描写は、本当にただの死について、である。何度も捜索隊を組んで遺体を捜索しているが、発見した遺体を麓に下ろせないことがわかるとさっさとその場で火葬する。描写に徹した記述に感情的なものはなく、「落ちて死ぬ」ことはどこまでいっても「落ちて死ぬ」ことでしかないと理解せざるを得ない。

著者は「山での生死の〈確率〉なんて〈偶然〉と同しや」という章で吹雪の白馬乗鞍で雪庇を踏み抜いた経験を書いている。「いくら灰色の虚空をにらんでいても、雪の稜線と空のつなぎ目が分らんのです。」(pp.146)という記述から、想像を絶する荒天のなかを進んでいたことがわかる。なんとか滑落を免れ、日が暮れてビヴァークをしている時も、ツェルトをめくればそこは変わらず悪夢のような吹雪が広がっているというのに、そうとは思えない穏やかさで夜明けを待っている。

冬山に登るということは、比喩でなく死と隣り合わせの行為である。一歩間違えれば、雪庇を踏み抜いて滑落死してしまうからのだから。しかし、踏み出すその一歩はきっと「間違い」ではないのだろう。ただ歩をすすめ、踏みしめたその雪が抜けるか抜けないかでしかない。

別に自分では山に登ろうとは思わないが、山に登る人が書いた本を読みたいと思うのは、「そこ」に挑む訳のわからなさを知りたいからなのだろうと思う。まあわかるようには思えないのだが。

高田直樹「なんで山登るねん」河出書房新社、2002年。

https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309406534/

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,569件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?