大雨の下で見知らぬ人と雨宿りした話

急な大雨。

雨宿りのために駆け込んだ軒下。

そこで偶然出会う同世代の男女。

なんとラブロマンスにおあつらえ向きの舞台だろう。物語の導入としてこれほど分かりやすいものがあるだろうか。創作物ではこのようなシチュエーションで出会った二人はしばしば恋に落ちるものだ。

もう時効だろうと思い今回はnoteに綴るが、実は数年前にこのような場面に偶然遭遇したことがある。

今日はそんなラブロマンスにありあがちなシチュエーションの下で徹底的に片っ端からフラグをへし折っていった悲しきライトノベル作家の一日を振り返ってみようと思う。


まず大前提として僕はその日、事故ってレッカーのお世話になった。

はい。

今、これを読んでいる読者の皆さんは恐らく「は?」と思ったのではないでしょうか。安心してほしい。僕もこれを書きながら「は?」と思っているし、何なら当時も「は?」と思った。

細かく説明すると長くなりそうなので大分割愛させてもらうが、ともかく大雨のその日、愛知で会社員をやっていた頃の僕はどうしても東京に車で行かなければならず、早朝の4時頃に車を走らせていた。そんなときに水たまりに足元を掬われてスリップ。のちに車は走行困難となった、という顛末があったのだ。

早朝ということもあり幸いにもけが人は誰もおらず、車自体の損傷もどちらかといえばそこまで深刻なものではなかったものの、安全策としてレッカーを呼んだ。こんな風に書くと「事故っておいて安全策とか何言ってんだ?」と皆さんは思ったのではないでしょうか。僕も思った。

ともかくその日は人生初の事故で心身ともに疲弊しており、そのうえ早朝ということもあり、判断力がまったく正常でなかった。

レッカー車のおじさんは早朝で事故った僕にやさしくしてくれた。「まあ元気出せや兄ちゃん。俺も若い頃は無茶したなぁ」と僕の肩をたたきながら、近くの駅まで送迎してくれた。

こうして僕はその日、朝5時に誰もいない駅まで辿り着いた。

幸か不幸かその駅からは東京行きの高速バスが出ており、最速で朝6時に駅までくることになっていた。僕はどうしても東京で済ませなければならない仕事があったため、朝6時のバスに賭けることにした。

そうして雨の中、駅で立ち尽くしていたときだった。

一台のタクシーがゆっくりと僕の前に止まり、一人の女性が降りてきた。見た所年齢は僕と同じくらいだろうか。

やや疲れた様子の彼女は、雨から逃れるために、僕がいる軒下まで駆け込んだ。

恐らくこのときの僕が正常な判断力をまだ残していたのならば、こんなシチュエーションになったことで多少なりとも「あれ? 映画とかでよく見るやつじゃん」などと思ったことだろう。ところが前述した通りに心身ともに疲弊していた僕はとにかく「あー服濡れてて気持ち悪いなぁ、着替えたいなぁ」くらいしか思っていなかった。

しかしそんな僕の疲れなど関係なしに、女性は僕の方に顔を向ける。

「あのう、すみません(清楚)」

「はい」

「今日、バスって時間通りに来ますか? 私、ちょっと不安で……」

大雨だし、もしかしたらバスの運行も中止になったのではないかと思ったのだろう。僕は笑った。

「ははは。僕も不安です。一応、さっきネット見たらバスの運行停止の報告もなかったので、多分動いてるんじゃないですかね。まあ僕この辺りの人間じゃないんで良く分かんないんですけど」

「あ、そうなんですか? ……ひょっとしてお仕事とかで東京行かなきゃいけない感じですか?」

「そんな感じです」

「ふふ、私と同じですね(清楚)。私も今日新宿に行かなきゃいけなくて……」

「そうなんですか。ところで着替えてもいいですか?」

「はい?」

どうしても服が濡れているのが我慢できなかったのだ。僕はその場で服を着替えた(シャツのみ)。TPOをわきまえない男。

着替え終わると、バスを待っている間、お互い他愛もない世間話をするようになった。詳しいことはよく覚えていないが、どうしても仕事で新宿に戻らねばならないそうだ。

大雨だろうが何だろうが仕事に追われている人間はどこにでもいるということなのだろう。僕は妙な親近感を覚えた。

「そいいえば、今日はどちらから来られたんですか? さっきこの辺りの人間じゃないって言ってましたけど」

彼女に尋ねられ、僕は答えた。「愛知です」

「え? 愛知からこの駅まで来たんですか……?」

「あそこにレッカー移動されてる車がありますよね」

「? はい」

「あれ僕のです」

「は?」

彼女も「は?」と思ったことだろうが僕が一番「は?」と思って以下略。


それから先は特に何もなかった。そもそも現実世界では同じ軒下に一瞬いたくらいで恋に落ちたりなどしないからだ。というかいきなりシャツ脱ぐような男と恋に落ちられてたまるか。

それからほどなくして高速バスが駅に現れる。僕たちは安堵しながらバスに乗り込んだ。高速バスの運転手は僕ら二人を見て「お連れさんですか?」となぜか尋ね、そんな質問に僕と彼女は即答で「違います」と答えて一人ぶんの料金を支払ってバスに乗る。(指定席だったから連れかどうかを確認したかったらしい)

バスの中で偶然にも通路を挟んで隣り合わせに僕らは座った。が、そこでも特に何かが起こるわけでもなく、というか何なら僕はバスに乗った直後に寝たのでそのあとのことはもうほとんど覚えていない。疲れてたからね、仕方ないね!

あとは降りるときに軽く挨拶したくらいで、本当に何も起こらなかった。創作にありがちなシチュエーションなんて現実世界ではそんなもんだろう。


それから月日が経ち、今では愛知から移動して東京で働いている。以前のように体力限界ギリギリのときに長距離運転をするような危険を冒すことも当然ないし、だからこそ軒下で偶然誰かと出会ったりもしない。

平穏な日々を過ごしている。

先日、雨が降った日に新宿を歩いていたときに、ふと彼女のことを思い出した。そういえば新宿がどうたらとか言ってたな(曖昧)。しかし思い出したとはいえ彼女の顔などは一切覚えていないし、どんな人だったのかも曖昧で、むしろどちらかというと自分自身の奇行のほうばかり覚えている。

願わくば彼女のほうも僕のことは綺麗さっぱり忘れていますように。

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