何も生み出せない私は、ウンコ製造機なのでは
こんにちは。ラストJDのじょんです。今日は存在価値の話をさせていただこうと思います。
「ウンコ製造機」
これは高校の顧問の先生が言っていた言葉です。
確か、「何も生み出せないニートみたいなやつは、ウンコ製造機だ」みたいな感じの言葉だったと思います。普通だったら「それは言いすぎだろ」みたいに思ったり、ネタとして受け取るのかなあ、と思います。しかし、私はその言葉がめちゃくちゃ胸に刺さりました。
そうか、何も生み出さなかったら世間からウンコ製造機ーつまり存在価値がない、と思われてしまうのか、と。
それからは、明確に存在価値を求めるために、絵をはじめとして何かを生み出すようになりました。今の私の創作意欲はこの焦燥感から来ていると思います。
小さい頃はただ楽しくて絵を描いていた気がするんだけどなあ。
存在価値って
一時期、鬱状態になって家に引きこもってゲームや通話ばかりしていた兄のことを正直「ウンコ製造機だな」と思っていました。
なので、就活で自分が鬱っぽくなって何もできなくなったときに、兄に抱いていた感情を自分に向けてしまって辛かったです。ああ、私、今、存在価値ねえな、って。
存在価値ってきっと、幼い頃に何度も何度も「あなたはいるだけで価値がある」、みたいな言葉をかけ続けられたり、ハグしてもらったり、いわゆる無償の愛を周りの大人や人間から受け取って育んでくもんなんだろうなあ。
私は幼少期にそうしてもらった記憶が微塵もありません。すこぶるいい成績取らない限り滅多に褒めてもらえないし、家事やオシャレや遠出など、「これやりたい」という私の要望はことごとく否定されてきました。危ないし、どうせ私にはできないだろう、という理由で。
なので、現在の私は存在するには明確な価値がないといけないんだと考えるようになりました。
物心ついてから無償の愛を受け取っても、なんで優しくするんだよ、何か目的があるのか、って勘ぐってしまうようになりました。
そう、私にあるのは有償の愛なのである。何か条件がないと愛されないし、愛することもできない。私はこれができるから、あなたはこれができるから、ここにいていいんだと、そんな窮屈な愛だ。
だから、鬱状態で何もできなかった兄のことを無能だと感じ、「ウンコ製造機」などと思ってしまったのだろう。
そんなことはないのに。ただそこにいるだけで、かけがえのない存在であるはずなのに。
おわりに
ということで、存在価値にまつわるお話でした。
存在価値に条件なんて必要ないって、今頃気づきました。ちょっぴり遅かったかもしれませんが、気づけてよかったと思います。
もっと自分は価値があるんだなって意識づけと、もっと純粋な「やりたい」っていう自分だけの感情にしたがった創作活動をしたいですね。
このブログはその一環でやっているつもりです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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