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支那事変とはドイツ対日本の紛争の一面

支独合作vs日本という構図。画像は石田勇治著、笠原十九司著、吉田裕著、田嶋信雄著『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』からで、土下座強要派もこのような史観を持っているという点に注意すべき。ですので、ぎよみどん-hinyata殿の情報は重要なのですな。

ぎよみどん-hinyata(@hinatanococo)
https://twitter.com/hinatanococo/status/1259416906508845058?s=20

>>ぎよみどん-hinyata(@hinatanococo)
あまり触れられることの無い話。
南京戦の1937年当時、南京には列強各国商人などが多数在住していて、南京から退避した者もいたが残留した数が多かったのはドイツ人。
首都・南京の近代化=インフラ作ったのはドイツだからね。
それほど中華民国とナチスドイツの関係は強固だった。
#中独合作
午後6:36 · 2020年5月10日·Twitter Web Client

あまり触れられることの無い話。
南京戦の1937年当時、南京には列強各国商人などが多数在住していて、南京から退避した者もいたが残留した数が多かったのはドイツ人。
首都・南京の近代化=インフラ作ったのはドイツだからね。
それほど中華民国とナチスドイツの関係は強固だった。
#中独合作
午後6:36 · 2020年5月10日·Twitter Web Client

ジョン・ラーベもその一人というか代表であり、一説にはゼークト総督によってAOG(Allgemeine Ostasiatische Gesellschaft =German for General East Asian Company)発展のため在中経済担当官に任命され、ファルケンハウゼン軍事顧問団の一員であったとも言われる。
で、南京攻略後の日本に対して列強各国から在南京の権益損傷への損害賠償請求があったわけだが、どこを置いても煩く要求してきたのがドイツ(画https://jacar.archives.go.jp/das/image-j/B02030623600
情けないことに日本側としては「誰がやったか分からんけどドイツには言い分通り賠償しよう」(防共協定のため?)

南京戦の前後事情を見るのにナチスドイツの動きを見ていくのも大事。ナチス政権とドイツ国防軍は別、とは言えない。
”中国の”中国の国民政府がナチス・ドイツの軍需産業発展に大貢献をなし、この軍需産業発展がナチス・ドイツのヨーロッパ侵略の原動力となった事実”
http://ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/608/608PDF/kitamura.pdf
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>>645Hum殿(@645Hum)
何故ドイツと中国が親しくしていてドイツが軍事顧問団を送って上海郊外に強力なトーチカ群を敷設していた事を日本の軍隊も外務省も知らなかったのかと不思議に思います。こちらを殺そうとしているお国と条約締結とは。

>>ぎよみどん-hinyata殿(@hinatanococo)
情報は全部採ってたと思うのです。
どんな事も詳細に調べがついていたのに(画像)、何でそんな事に〜というケースは多いです。

中で、645Hum殿が疑問に感じて居られるのは当然で、日本国の中に強固な親ドイツ派も居たと言う事と、【石射猪太郎】などと言う頓珍漢が、外務省の幹部にいたということは、戦中及び敗戦後の日本国にとって悲劇中の悲劇であったとも考えます。共産主義の動きを理解してないような人物で、当時の問題の責任を【軍部】に刷り替えてしまったのでしょうな。当時の近衛内閣は、ゾルゲ事件発覚より前なので、【共産主義の穿孔工作】の【影響】をモロに被った状態なのですな。

重要なインテリジェンス情報があってもそれを分析し、施策に反映させることが出来る政権がなければ、亡国に繋がるという良い見本なのですな。

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