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中高生に伝えたい【気をつけよう人は意外と騙されやすい】ということ

公式に認定され教科書に載るような史実でも,「あれは左翼のデマ」と自信ありげに断定する人がいて,書店に平積みされた嫌韓・反中本を読んで,「学校は日教組のアカの巣窟で生徒を洗脳してるんだ。オレは真実を知ってるぞ!」と改心したが周りには言えずに,匿名でネットにデマを書くなんてことが。

【こなみひでお@konamih】という人物がこんなtweetをあげているとネットの友人から教えていただいたのだが、当方は京都で長年生活を営んでいるが、市井での生活で、生業が関わらなければ、京都女子大学いわゆる京女の学校に関係する事も無いので、当然ながらこの方のことも存知挙げない。
それに名誉教授だからといって、別にありがたい訳でもないし、むやみに尊敬される訳でもない。最近やたらと愚かな言説を行う学術関係者が多く、そこから考えるとただの職業の肩書き過ぎない。
近年、安倍晋三元総理が就任以降、学会の人物が度々馬鹿な主張やコメントを吐いてきたので、別段驚かないが、この人物が、【ニセ科学フォーラム】の実行委員と聞いてびっくりしてしまった。
やはり、【科学】とは一体何かを深く考え込んでしまったのは言うまでもない。

【ニセ科学】と聞いて、まっさきに【歴史学会】が主張している【南京事件】を思い浮かべてしまった。

当方は【南京事件】という【呼称】で使われる場合は、2種類あると以前の記事で考察しているが、繰り返すと。

(1)【大量殺人(一般人・捕虜・敗走兵)】かつ【虐殺】という【非科学的な感情表記用語】を使用し、【略奪】、【強姦(レイプ)】、【放火を含む建物・建造物への破壊】を全てを含めた【総称】。
(2)【事案】そのものは、【戦争宣伝】を含む【虚偽】と【陸戦法規違反という条約違反の疑惑】のある【事案】で、【虐殺】という非科学的な用語を使用しない【殺害】に焦点を当てる【名称】。

むろん、【歴史学会】の場合、(1)であり、この名誉教授様も(1)を【公式に認定され教科書に載るような史実】として、他を【デマ】だと決めつけておられる。

wikiを見ると次のようにこの人物は物理学を含め、計算機科学、分子分光学、色素分子なんちゃらの専門家で、さらに統計学、アルゴリズム云々と多彩な専門家である【化学者、理学博士】様でいらっしゃる。

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そのような科学者様が【公式に認定され教科書に載るような史実】などとおっしゃれば、通常、市井の人間や若者なら【ありがたくその通り】と思うのは世の常、常識であろうかと考える。肩書きや格式に【目を奪われてしまう】なんて事はよくある事である。

しかし、少し【ニセ科学】と言う点で、ふと我にかえって考えてみる必要があるのではなかろうか。

世の中には、【ニセ科学】が蔓延し、こういう偉い学者様は、【騙されないように】【調べたり】【考えたり】しましょうと勧めている立場の方ではないかと首を捻ってしまう。

【ニセ科学】の多くが、こういう【肩書き】【権威】を用いた【目くらまし】を良く使って、人を【信用させる】という心理テクニックに長けている。

経歴を見ていても、専門外の事であるから、【歴史】に於ける【近代史】に関しては、一般人とほぼ変わりのないレベルの知識と拝察するし、又、多数の著作を読んで、相当な知識があったとしても【東京裁判史観】に縛られた情報・思考の古いタイプで、【ヴェノナ文書】などの【対国工作秘密文書】が公開されて以後の新しい情報による情報更新は行われてないようにも見受ける。
コンピュータ(計算機)のプログラムを教えておられる筈なのにデバックや情報の更新作業は無いのかと... びっくりのご理解の持ち主かと考えられる。
実際の所【公式に認定され教科書に載るような】である【南京事件】は、【家永教科書裁判】でもわかるように【学界の支配的な見解】を【根拠】にしているに過ぎない。それを【教科書】としても良いという認可を与えているだけであって、【学界の支配的な見解】が【史実】とはまた異なるという点を理解していない。この人物は教科書に書かれているとか、論文があるとか、誰それの学者が言及したとか、【学会が主張している】とか、いわゆる【肩書き】や【ありそうな看板】で【カモフラージュ】した【ニセ科学】とするようなことを【信用して】まるで【騙される人間】みたいである。

それを推進するようなことを言うのは【ニセ科学】の片棒を担いだ【ネズミ講に引っかかってネズミ講を広げる愚かな人間】のようにも見える。

そもそも【歴史学】と【物理】とは違う。それは何かと考えると、【物理】は【人間感情】【政治】が入る込む余地がない、再検証しても同じことが起こる。再現【実験】が出来る。という事ではないか。
【ニセ科学】というのは、【人間感情】を巧みに利用し、【政治】【権威】を利用する、そして【再検証】しても同じ効果が認められない、または【実験】で【再現】できない。
確かに、医学に於ける【薬効】が人に寄って【効果】がまちまちであったりする事はあり、それが少なくても【ニセ科学】と呼べるかは微妙である。
丸山ワクチンなど有名だったが、現在も研究を継続される研究者もおり、応用的な使用法もあるやに聞く。
【心理学】も【医学・科学】の範疇に入っていて、治療は【薬物投与】にしても【心理療法】にしても、個人の症例によって異なるのは当然である。
しかし、治療として【効果】の【有無】という【結果】が存在する事は確かである。

では、【歴史学】はそのようなものだろうか。
【史料】が【道しるべ】となる事は確かだが、【事案】が【南京攻略戦】などのような大規模になると【史料】が存在しないケースがままある。するとその部分は【埋もれた】事になるだけで、ぽっかりと穴があいた状態になっている。
化学の実験で、試薬が足りない状態で、【実験】を行い【結論】を出すようなものである。
その為に、【史料】を探し出して、その【穴】を埋める作業が行われる訳である。
しかし、戦闘行為でフィルムが残っているケースは、戦勝国側が残したものがあるが、経済力で劣っていた日本側の映像はほぼ残っていないし、残っていても、戦災やその後の天変地異で消失してしまったケースもある。

さらにそれを補おうと次に出てきたのが、【オーラルヒストリー】という【目撃・体験証言】を使った【補完作業】である。
そもそも【オーラルヒストリー】は【民俗学】などのフィールドワークなどで用いられたもので、古くは柳田國男の『遠野物語』などが有名であり、東南アジアなどでもドゴンの伝承などそういった【昔話・民話・伝説】の【収集】に効果を発揮し、学術として大きな意味のある実績を生み出しているのは間違いが無い。
それを【戦史】に応用しようとしたものである。しかも【戦争犯罪】の【根拠】として使おうというのである。
戦後、1990年近くになって、多くの【南京事件】に関わる【証言】を収集する人々が排出し、著名な所では、偕行社、阿部輝朗氏、小野賢二氏、下里正樹氏、松岡環女史等が【目撃・体験証言】をそれぞれの立場側の立証の為に収集した。
しかしながら、【証言】は【史料】として、評価の中でどのような位置にあるかというと、

笠原十九司という超有名な(1)の南京事件を主張されている都留大学の名誉教授がおられて、多くの【南京】に関連する研究所を出版されている。
その代表作の一つ『南京大虐殺否定論13のウソ』の中で、歴史についての道しるべとなるべく重要な史料についての考察を次のような引用を挙げている。

P.52 年鑑を「一等史料」という荒唐無稽な否定論
谷内謙は『現代史を学ぶ』(岩波新書、一九九五年)は歴史学でいう第一次史料についてこう説明している。
歴史家は、「第一次史料」とよばれる史料がとくに基本的な史料である、「第一次史料」に基づかない歴史記述は信頼できない、とよくいいます。第一次史料とは、原史料あるいは根本資料といわれることからも判るのですが、歴史家によって加工される以前の原材料、引用される以前の「もとにある」史料のことであり、大体において歴史的出来事と同時代に作成された記録です。(一五六頁)
本稿でもその一端を紹介してきたように、日本軍の占領下の南京にいて、南京事件を目撃したり、見聞した外国人のジャーナリスト、宣教師、外交官たちの記録文書こそ歴史学でいう「第一次史料」なのである。私はアメリカでそれらの史料を収集して前掲資料集にまとめ、それらを日本側史料、中国側史料と照合させながら厳密な史料批判を加えて、『南京難民区の百日』(前出)や『南京事件』(岩波新書、一九九七年)の歴史書を叙述した。
『南京大虐殺否定論13のウソ』(南京事件調査研究会編集/柏書房/1999/10)

【目撃・体験証言】というオーラルヒストリーでの【史料】は、この【重要】な【第一次史料】に基づかない歴史記述は信頼できないという事になる。
ただ、オーラルヒストリーにおいても、【刑事事件】に於ける【調書】ように、【被疑者】と【取調官】との【やり取り】のような状況であるならば、信用の確証も高くなる【可能性】もあるが、それだけでは明確にはならず、実際に【犯行の確証】を得るには、他の【物証(化学物質・DNA・指紋・映像・画像・音声)】や【同事案】での【目撃・体験証言】などが必要となる。
まぁ、刑事ドラマや裁判もののドラマ等でもおなじみである。根拠の乏しい【証言】だけでは、公判は維持できないのである。
一般に【証言・体験談】を収集しようとしても、【聞き方】、【聞いた時の世情】などによっても、その【記憶】は【変化】するおそれがある。
【目撃・体験】は、だいたい【記憶】によるものが多く、当然ながら事案が近いと【記憶】も【鮮明】であるし、事案が古ければ古いほど、又目撃・体験証言者の年齢(幼児・高齢)や身体状況(病気や脳の働き)も関係してくる。つまり、かなり【不安定】なものである。
例えば、アメリカの研究で、【目撃証言】や【記憶】からの【冤罪】を防ぐことを目的としたアメリカの研究者(エリザベス・ロフタス教授)グループなどが研究を行なっており、あるプロジェクトの研究で【冤罪】が後にDNA鑑定【精度向上】などで【無罪】が確定した300名の人物を対象にした調査で、4分の3が【有罪判決】の【決定の主要因】が【誤った目撃証言】によるものだったという研究結果)がある。つまり225名の人物が【虚偽の目撃証言】で【冤罪】となったと言う事になる。
又、【誤った情報】が入ってくる事や【誘導尋問】や【洗脳】という手法で【偽の記憶】が出来上がる事も、【衝撃的】な【場面】で必ずしも正確な【記憶】が残る訳ではないという【実験研究】も存在している。

ロフタフ_目撃者_冤罪

オレンジ色が、【虚偽の目撃証言】によって【冤罪】となった方達である。

偕行社は、後に【検証】した集成書籍を刊行し、一応【状況把握】からの【分析】は行っている。検証分析と刊行に携わった板倉由明氏は別に自分自身の集大成の著作『本当はこうだった南京事件』を上梓されている。
その他の方々は、【殺害】があった事までは【信用度】をつないでいるように見えるが、【殺害】とは何かを【理解】せずに【虐殺】という言葉を乱用して、【日本軍=悪】という方向性からの論旨を組み立てておられて、【事実】としてそれが【何か】が判るものは存在していない。
【戦闘行為】は、【殺害】も【正当化している】のであると言う点を【忘却】されている。

【オーラルヒストリー】についてかなりのボリュームを割いている理由としては、【史料】として実際には【蓋然性】の【高低】でいえば、【低い】ものを【重要な根拠】には出来ないという事を主張しているのでからであり、(1)の南京事件が【学会の支配的見解】とされている今、重要な根拠として【証言】を使用していることが多く、それが【信用度】があるかと言えば、【第一次史料】とする【日記】の記述を合わせても、戦後の後世にできた【戦争犯罪】やそれに伴う【贖罪意識】へのメディアが扇動した世論の冷たい雰囲気があったであろう事は推測できる為、【記述への解釈】や【記憶】の【変更】がなされてたと【想像】ができるので、それが【現在】まで【書籍】等で見る事が出来るが、果たして【記述】や【証言】が【事実】を表しているとは限らないと考えても的を外れていない。
そう言う状況を含めて【オーラルヒストリー】が【学会の支配的見解】を立証せしめているかというと出来ておらず【過誤】であるという事である。
(1)の南京事件と【学会の支配的見解】の【立証史料】は、それだけではないという事は百も承知だが、重要資料としての当時南京に在留していた欧米人の【抗議・陳述書】を集成した【南京安全区檔案】が所蔵している文物にしても、【証言から得た情報】であり、それが【警察捜査】のようなものではなく、【情報】を鵜呑みにしたものである事は理解できるし、重要メンバーのベイツ(南京〈金陵〉大学教授、歴史、キリスト教宣教師)という人物が、ありもしない【日本軍の非道情報】を流した張本人であるという事も判明している。第一次世界大戦で大きく発展した戦時宣伝があり、【レイプ・オブ・ベルギー】という【虚偽報道】がなされた事は、現在の日本ではあまり知られていないが、このベイツという人物も南京陥落から6ヶ月後に早くも出版された【日本軍の暴行ドキュメント】書籍を出したティン・パーリーというイギリスのガーディアン紙の記者との手紙の中で、【レイプ・オブ・ベルギー】という文言を使っている。
又、【南京安全区檔案】の【証拠文書】には次のような中国共産党が作成したと思われる馬鹿げた【史料】もある。

南京檔案書による16師団殺害表

知っている人間ならば、卒倒しそうな史料である。こんなものを平気で中国共産党や中華人民共和国は、【根拠】として出してくるのである。

そもそもの【情報】が【虚偽の宣伝】つまり【戦時宣伝】である以上は、【学会の支配的見解】がそもそも間違っている訳であり、それを元に【日本国】が認めたという事ではなく、【表現の自由】として【学説】を使っても良いという事になっているだけで、【学会】に任せる、【研究者】に任せるという事であって、しかも日本政府が何かの【史料】に基づいて【事実認定】しているわけではない証左でもある。

外務省歴史Q&Aの【6】の記述と、第一次安倍政権時に行われた日中共同研究論文(2010年9月6日に発表)の記載状況とあわせて、日本政府が【事実認定】をしているということをネットおよびSNSなどで、盛んに言われているが、それを【根拠】にされている方達は、その間にある矛盾点が存在する事に気がつかれていない。
外務省の6テキストは、【非戦闘員】の【(anumberof)殺害】であるが、日中共同研究の日本側研究学説には【捕虜殺害】がむしろ【中心】である。
つまり、【対象】として、【容認している事案】が【違う】という事である。
さらに、日中共同研究でとりまとめ役の北岡伸一(専門日本外交史)という人物が、外交フォーラム通信号『「日中歴史共同研究」を振り返る』(通号261号 2010.4)の中で次のように述べているように、日中による【史料批判】および【解釈】についての検討など【議論】を行っていないと語っている。

南京事件について、日本軍の虐殺を認めたのはけしからんという批判がある。
先述した通り、共同研究ではとくに時間をさいて議論してはいない。よく報告書を読んでもられらえばわかるが、日本側は、日本側には犠牲者数について諸説あるということを紹介しているだけである。
ただ、虐殺がなかったという説は受け入れられない。

では、北岡伸一氏はどうなのかというと、おそらく外交文書類と(1)の元に書かれた【学会の支配的見解】を含めた文献類しか読んでおられないのではないかと考えられる。
出なければ、【虐殺】などという【幼稚】な【用語】はお使いになられなかった筈である。

又、その【諸説】の元になっているのは、
日中共同研究の論文の欄外参考文献に掲載があり、次に挙げる掲載書が元になっている。

●秦郁彦『南京事件』中央公論社、2007年増補版、317-19頁
●南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅰ、Ⅱ』(増補改訂版、偕行社、1993年)
●伊藤隆・劉傑編『石射猪太郎日記』中央公論社、1993年、240頁
●原剛「いわゆる『南京事件』の不法殺害」軍事史学会編『日中戦争再論』錦正社、2008年、139-55頁
●北博昭『日中開戦』中央公論社、1994年、54-68頁
●笠原十九司『南京難民区の百日』岩波書店、1995年、25-54頁
●孫宅巍(笠原十九司訳)「南京防衛軍と唐生智」
●藤原彰ほか編著『南京事件を考える』大月書店、1987年)153-58頁
●楊大慶「1937、中国軍対日作戦の第1年」113-22頁
●笠原十九司「南京防衛戦と中国軍」214-41頁
●洞富雄ほか編『南京大虐殺の研究』晩聲社、1992年
●ジョン・ラーベ(平野卿子訳)『南京の真実』講談社、1997年、83-90頁
●楊大慶「南京アトロシテイズ」
●劉傑ほか編『国境を越える歴史認識』東京大学出版会、2006年、139-68頁

(2)を主張する人々の書籍は、偕行社の『南京戦史』ぐらいである。(2)を主張する研究者は、学者も含めて多数居るが、そこには存在していない。
学会に限定しても東中野修道氏、藤岡信勝氏、渡邊昇一氏、北村稔氏もおられる。

原剛氏に関しては、偕行社の編纂に関係しておられるが、そもそも(1)を唱えだした学者やジャーナリストに対する【認識】を解き明かす事だった筈にも関わらず、それを【犯罪】かのように置き換えた責任は極めて悪質である。

引用文献が、偏っているし、偕行社はそもそも【学会】では無いので、市井の研究者も当然範疇に加えるべきであったはずであるが、恣意的に外しているということが伺える。
当時を知るというのは、この程度の文籍や史料の量では判断できないと考える。
この文献類を一見しての印象は、素人なのか? いや素人だと率直に思った事は歪めない。

はっきり言って、素人レベルである。

研究者としてのこのこと出てくるに値しない人物で、この人選をした人物は、相当意図的だったのだろうと言わざるを得ない。

つまり、【家永教科書裁判判決】にいうように【学会の支配的見解】を支持する人選と学説の【政治的】な意図を持った【紹介】だったと考えられる。
北岡伸一氏は【ただ、虐殺がなかったという説は受け入れられない。】と【虐殺】という【感情評価付き用語】を使っておられるが、本来なら【歴史】を【科学】とするならば、【感情】を付属している用語は使うべきではないし、使っているのは【政治】及び【感情】であり、おそらく日本政府の関係役職についておられるこの人物は、中華人民共和国及び中国共産党への【政治的配慮】又は【政治的忖度】をされている為に、この様な【非科学的】な用語をお使いになっておられるのだと考えられる。
又、日中共同研究での中国側のあきらかに【過誤】のある主張、つまり【デマ】を批判する事はいっさい無く、日本側だけに【虚偽情報(虐殺)】を押し付けるのである。
つまり、【政治的忖度】からの【非科学的】な用語を使うという【ニセ科学】そのものであろう。

では、それが日本政府の【対象範囲】に結びついているかというと、上述したように、【学会】の【支配的見解】は、あくまでも【学会】の【見解】であって【日本政府】の【認定】とは異なっているという事になる。
ちなみに、【事実認定】を日本政府国会等の答弁でも判るように【拒否】している。

話を元に戻すが、【こなみひでお@konamih】という【ニセ科学】をなんとか世の中から追放したいと考えておられる人物の言う【公式に認定され教科書に載るような史実】は、【日本政府】による【事実認定】ではなく、あくまでも【学会の支配的見解】に過ぎないという事であり、その【学会の支配的見解】とは【過誤】であることから、この【ニセ科学】の【追放推進】を掲げる人物が、【ニセ科学】に嵌まって、【ニセ科学】の宣伝マンとなり【ニセ科学】を広げているという事が判るのである。(ヤレヤレ....)
このように物理の学者のような【論理的・客観的な思考】が出来る人物でも、肩書きや権威といったものに対して信用するあまり【専門外】では【デマ】に【騙されやすい】という事を示している。

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これは【人】は【権威】や【看板】に弱いという事が、まざまざと判る事例であろう。
中高生の皆さんもこういう大人になってはいけないという良い見本であり、【人】は意外と【騙されやすい】という見本でもある。


また、つまらぬ者を斬ってしまった.... 乾杯。

【蛇足1】
本来なら、研究者は、【史料】と【議論】を通じて【取捨選択】、【吐故納新】を行い、誤った【情報】を【喜捨】すべきなのだけれども、戦後の【容共体制】を捨てられない人々が特に大学を中心に【学会】におられるようで、【市井】でも【優秀】な【研究】は多数あれども、それを頑に【受け入れない】という状況が多分にあるようである。
さらにそれが自分自身と違う【専門分野外】であればあるほど、【学会】を【優先】してしまうという事になっているようである。
それで【学会の支配的見解】というものが【形成】されているのであると推察する。
市井の一企業でもノーベル化学賞を受賞された方も居る訳であるし、【史料】という面では、【第一次史料】を発見したり、【オーラルヒストリー】の収集を行った人々は、学者でもない市井の人々であろう。
現在の【学会の支配的見解】を保持する学者方々は、もう少し自分自身を見つめたり、胸に手を当てて考えを改めてもらえれば良いのではないかと考える。
ただし、あまり期待してない、ある意味駄目な連中が多いので。笑い。

【蛇足2】
本文中に出てきた、民俗学者の柳田國男氏だが、wikiなどの代表作には載っていないが、第一次世界大戦でのイギリスの日本に対する【対独戦時宣伝(内容には虚偽が含まれている)】の為の書籍の翻訳者となって知ってずかイギリスの情報工作に一枚噛んでおられる。(知ってる人は知っている、知らない人は知らない。当方も実は未読。)

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