使い古しの【言論封圧】のテクニック
NOKONOKO@Nokonokohouse
1つ目のTweet
南京攻略戦があったか無かったかというのは、現代の私たちには「わからない」
ましてや当事者ですらない私たちに、そのことを断定的に語る資格はそもそもない。
あったと言う人には「あなたはそう考えるのですね」、無かったと言う人には「あなたはそう考えるのですね」と言う、ただそれだけだ。
午前6:47 · 2020年5月26日·Twitter Web App
2つ目のTweet
少なくとも、これから先にそういう事があってはならないと私は考える。
南京攻略事件があったとかなかったとか、究極的にはそんな事はどうでもいい事で、そこで思考停止する事が恐ろしい。
午前7:08 · 2020年5月26日·Twitter Web App
3つ目のTweet
そういう事を考えた上で、既に国際的に事実として扱われている南京事件を「なかった」とか、その規模を過小評価する人は、少なくとも日本の国際的評価を貶める。
もしも南京事件が本当に無かったにせよそういうことになってしまう。
この事を踏まえて意見を述べて欲しいと思う。
午前7:13 · 2020年5月26日·Twitter Web App
こういう人物の論理的な矛盾に気がついた方はどれだけ居るだろうか。
一つ目のTweetで、断定的に語る資格が無いと語っているのであるから、語らないのかと思いきや、
Tweet2つ目で【少なくとも、これから先にそういう事があってはならないと私は考える。】と言及している。このテキストの定義は「あったこと」が前提でないと成り立たない。資格が無いと言及しながら、断定的にかたっている。
又、【あったと言う人には「あなたはそう考えるのですね」、無かったと言う人には「あなたはそう考えるのですね」と言う、ただそれだけだ。】とも語っているのだが、3つ目のTweetで、
【既に国際的に事実として扱われている南京事件を「なかった」とか、その規模を過小評価する人は、少なくとも日本の国際的評価を貶める。】と書き、見事なまでに【肯定する】様に【恐喝】している。
少なくとも1つ目のTweetで、【ただそれだけだ。】とするならば、個人の考えや主張は自由であり、全く問題が無いことである。しかし、【するな】と【警告】している訳である。
国際社会における【評価】というのが、【日本人】が認識・理解する【近代史】の【評価】だけをとらえて、【国際社会】に於ける【評価】とはならない、中華人民共和国・大韓民国・北朝鮮人民共和国という3つの国家群を除いて、国際社会とは、wikiによると2017年5月現在、国連加盟国は190か国とのことである。
この内、日本国のWW2の前の支那事変における【歴史認識】に関する【認識・理解】についてどれだけ知っている諸国と諸国民が居るだろうか。そしてそのことを【評価】の【重要】な【指標】としている国はどれだけ居るだろうか。
こう言う人物は、国際的評価というのを【限的的な国家群(中国共産党・大韓民国・北朝鮮人民共和国)】からの【評価】を【国際的】と言い換える。その3つの国家群だけが国際社会を全体である訳では全くない。
【日本の評価】は、それだけではない。日本に来ている観光やビジネスで来日の海外の方や、日本に長・短期に在住の在外国人の【評価】を知れば判ることであり、【清潔】【サービス】【交通システム】【製品品質の高さ】【治安の良さ】が主であって、【日本人が持つ歴史観】が【重要】というわけではない。
【国際的評価を貶める】=>【日本に悪影響を及ぼす】等という【恐喝】めいた【言及】は、一つの【言論】を抑制させたいという【願望】とその騙しのテクニックである。
一見、公平で、両論併記の認めるような言及に見えるが、実際は【南京事件】での【虐殺否定】という考えを主張する事への【言論封圧】したいという【欲求】から来るものである。
まぁ、ネットでは使い古されたテクニックではあるのだが、日本人は、【オレオレ詐欺】にひっかかる【お人好し】の面も拭いきれないので、ここに注意書きとして注意を喚起しておく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?