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研究者と社会企業家の協働―NPO法人OVAの10周年を記念して


趣旨ー研究者は社会起業家との協働をしよう

この度、NPO法人OVAの設立10周年イベント「AI時代における新たなセーフティネットをどう構築するか?」が開催されることとなりました。法人設立10周年記念パーティということで、代表から今後のビジョンに関する話もありますが、私からも「AI時代の自殺予防ー展望と我々の課題」という話題提供を行い、これらを踏まえて「AI時代における新たなセーフティネットをどう構築するか?」というトークセッションを行うという極めて真面目なパーティ(?)ということになりました。組織/法人のカラーがよく出たイベント構成だと思います。

それはそれで良いのですが、あんまりダラダラと思い出語りをするような場にはならなさそうなので、こちらにOVA代表の伊藤さんとの10年分の思い出をまとめておこうかな思い、記事を書いています。

本記事(思い出語り)を通じて言いたいことは何かというと、少なくとも研究者(私)の立場からしてみると、自身のフィールドと関わる社会企業家との交流・協働の生み出す利益は目茶苦茶大きいから、研究者はもっとそういうことやった方がいいし、協働を生み出すきっかけを作る場が大事、そして、このイベントはきっとそういう場になるから是非来て下さい、ということです(笑) 私が把握している限りでも、関連領域の社会企業家、研究者、メディア関係者(含出版関係)の方などがいらっしゃるようですので、私の話とかは割とどうでも良く、交流会を大事にしていただくと良いのではないかと。

では、私が受けてきた多大なる恩恵についての思い出話をしたいと思います。興味のわいた方は、長くなりますが、どうぞ。

出会いと研究の成果

伊藤さんと出会ったのはまだOVAの設立前、伊藤さんが個人でOVAの萌芽となるインターネット・ゲートキーパー活動を始めていた2013年のことです。私と伊藤さんをつなげてくれたのは拙著「インターネットは自殺を防げるか?」で、伊藤さんがこの本を読んで、「会いたい」と連絡をくれたのがきっかけです。博士論文を書籍化した本で、心理学系の論文の文体で書かれた読みにくい本なのですが(笑)、伊藤さんが付箋を貼りまくった本書を持っていたのをよく覚えています。思えば、この時が自分の研究が社会とつながっているのかもしれないと実感した最初の瞬間だったかもしれません。

彼からインターネット・ゲートキーパー事業の構想を聞き、その時やっていた活動を様子を見させてもらって、「これは凄い、自分が今手掛けてる研究の中で指摘しているネットを使った自殺予防活動の問題点もうまくクリアしてる。というか、この人がうまくいかなかったら、日本の自殺予防事業できる人少なすぎんか…できない方がまずいだろ…」と思いました。そんな思いから、伊藤さんの事業を研究面からお手伝いすることになったのですが、その後の研究の成果は、主として「インターネット・ ゲートキーパー事業から生み出された研究の概要について」というページで詳細に説明しています。詳細はそちらに譲りますが、事業を通じて得たデータを元に、効率性や効果について分析し、自殺予防を目的とした学術的な専門誌に投稿していく作業を、継続的に行うことができている、ということです。

ちなみにですが、このページを作成した以降も査読付き論文は増えて(増え続けて)おります。さらに追加の情報ですが、インターネット・ゲートキーパーをやっていた時の初期の伊藤さんの実践については以下の書籍にまとめてあります。事例(事実をベースにした創作ですが)などが知りたい人は、こちらを読んでみて下さい。

研究者サイドから見た協働の魅力

ここまで10年ほど続いている我々の協働ですが、私が得ているものについて一言で言えば、研究の喜びを与え続けてくれる環境ということなのですが、これを理解していただくためには、私が伊藤さんと出会った頃の状況を理解していただく必要があります。大学教員(になった人)がいかに研究ができなくなっていくか、という話でもあります。

伊藤さんと出会った2013年、私はとてもじゃないが研究なんぞできない、という状況でした。私は、博士課程が終わり(2012年3月)、運よくそのまま現任校に採用していただき、2012年4月から大学教員として働き始めました。正直、採用されて働き始めるまでほとんど授業をやった経験もなかったので、最初の1年はひたすら講義を作っていました。概論の講義を作るために大学院生の時以上に勉強しましたし、初年次ゼミの運営がうまくいかなった反省として、初年次教育学会なる未踏の学会に足を運び、授業資料を集めまくったりしていました。

結果として、大学院生になって以降、はじめて1年間で新規の研究ができず、論文も投稿できないような状況になりました。研究していないのですから、研究スキルはどんどん失われていきます。もちろん、数年後には徐々に授業運営には慣れていきましたが、授業運営に慣れた頃には、今度は重めの学務が降ってくることになります(笑)私の場合には、学科の仕事はもちろん、学内の学生相談機関の新規立ち上げと機関長としての運営という仕事が来ましたので、そういったものにも慣れていく必要があります。もちろん、大学教員がやらなければならない一般的な学内業務(例:入試や募集対策)は他にも当然あります。

増え続ける授業、会議、学内業務、募集対策での高校周り……。中年期に突入すれば家族もでき、様々なライフイベントも発生します。大学院生の頃とは違い、自分の手を実際に動かしながら丁寧にデータを取り、解析をしながら論文を書く時間はどう考えてもありません。興味や志を同じくする人たちと研究に関する議論をする時間もなかなかとれません。論文を書く時間の捻出すら困難なわけですから、なおのこと、研究成果を社会実装するなんてはるかまた夢のまた夢……。家族が寝静まった寝室を抜け出し、蒙古タンメン中本のカップラーメンをかきこんで辛味で無理やり意識を覚醒させ、熱いコーヒーを飲みながら深夜に原稿に取り組むのがやっとの状況です。

悲しい話が続いてはいますが、こうした話は別に珍しいものではありません(中本の話は除く)。私も大学教員としてのキャリアも多少長くなり、採用人事に関わることも増えました。送られてくる研究者の履歴書と業績一覧を突き合わせて眺める時に否が応でも目についてしまうのです。あぁ、〇〇に採用されて以降、この人は研究できなくなっちゃったんだな……みたいな。経験したことのある担当科目の(長大な)一覧を眺めながら、さもありなん……と思った経験のある大学教員は決して珍しくないのではないでしょうか(そんなこと考えながら書類見てるのは私だけではないんじゃないかと…)。「研究しないシニア研究者」なるものが話題になることがありますが、そうなってしまう環境があることも(それは単に研究しなくてもクビにならないという意味ではなく)、また事実なのです。

話が長くなりましたが、私にとっては、こうした問題の全てではないにせよ、かなりの多くの部分を解消してくれたのが、伊藤さんが作り上げたNPOとの協働だったというわけです。社会の抱える課題に関するディスカッションを通じて、新しい自殺対策の形を構想し、社会実装することを研究面からサポートする。自分の力だけでは細かい実験の管理や調査の実施は難しくとも、OVAのスタッフと協働することで自分が培ってきた研究経験を活かし、論文などの形に成果をまとめあげることができました。博士課程のない本学ではなかなか博士の学生をもって、というわけにもいかないわけですから、このような形がなければ、到底、私は研究をまともに続けられなかったでしょう。ありがたいことに、このような形で、組織や事業への信用を生成することを部分的にサポートできた10年が過ごせたのではないかなと思っています。

それらの論文などは私個人にとっては、研究者としての業績になりますし、評価されて賞などをいただけば嬉しいという部分もあります。とはいえ、その嬉しさも別に長続きするものでもないですし、長い目で見れば、私個人が業績を積んで賞をとるみたいなことには、ほとんど何の(社会的)意味もありません。だいたい、仮に私の業績に多少見所があったとしても、それは私の力というよりも、上述のように、OVAの、伊藤さんの力が大きいわけです。自分で自分を褒められる点があったとすれば、伊藤さんの力にいち早く気づいたという点でしょうか。

それよりも、研究できることの喜びを感じる機会を失わずに済むことが、何よりもありがたいことなのだと、今の私は感じています。研究という行為の喜びを感じることができ、その成果が少しでもより良い未来につながるのであれば、研究者としてはそれ以上望むこともないのではないかと思います。

まとめ(と失敗例の話)

ここまで協働のメリットを挙げましたが、実際にはもちろんメリットばかりではないことも事実です。OVAとの協働はうまくいきましたが、実際には、他の企業/組織とは様々な理由でうまくいかなかったこともあります。産学連携で論文を出せるところまでいった他の協働もあるにはありますが、OVAほど続いている例はまれですし、論文を出す直前までやったのに急に色々あって話を打ち切られた例とか、トラウマティックな出来事もあります、語れないだけで……。こんなところでオープンには語れません(笑)

というわけで、失うものが何もないというわけではありませんが、現状の大学や大学教員が抱える課題を解消するための一つの方策であることは事実だと思います。特に、キャリアの若い方には、こういう場を活用して、自身の専門性を社会にフィードバックしながら、業績も積んでいくような道を模索してみるのも面白いかと思います。何か力になれそうなことがあれば相談にのりますので、メールなりTwitterのDMなりをいただければと思います。

※ 参考資料

以下の文献でも、同じようなテーマについて論じています。学術誌/専門誌なので、もう少し真面目に(?)書いてはいますが。

末木 新 (2022). 臨床心理学に「研究」は必要か?: 臨床・研究・社会のあるべき関係について(特集: 心の治療を再考する: 臨床知と人文知の接続). 臨床心理学増刊14号, 132-136.


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