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「New Jeans」デビュー!人気の理由を研究者が社会文化史的に考察してみた④:原点としての「90年代」そして「Y2K」

「New Jeans」の人気の秘密をK-pop研究者であるJohoが社会文化史的に考察していく連載、今回で4回目となりました。
New Jeansについては1回目で書きましたので、「New Jeansって?」という方はこちらをご覧ください。

デビュー後、快進撃中のNew Jeansですが、新たに’Hype Boy’のSpecial Performance Videoが公開されましたね。

さて、前回はNew Jeansと90年代J-popにおけるSPEEDとの共通点として「厳しい事前トレーニングによる完成形でのデビュー」「従来型のアイドルとは差別化された洋楽志向」「ビビッドカラーのスポーティなファッション」という3点をあげました。

今回は「90年代」と「Y2K」をキーワードとして、両者に共通する「厳しい事前トレーニングによる完成形でのデビュー」の背景に何があるのかを読み解いていきたいと思います。

アジアを圧巻した90年代J-popのダンス音楽

90年代の近隣アジア諸国では、J-popが人気になっていました。
中でも注目されたのが安室奈美恵を代表とする沖縄アクターズスクール出身者たちのJ-popのダンスミュージックでした。
90年代中盤〜後半の韓国でも安室奈美恵やSPEEDなどの激しく踊りながら歌うパフォーマンスは、金大中政権による日本文化の段階的開放とも相まって驚きをもって韓国の消費者に受容されていきました。
90年代後半には韓国でK-popアイドルが登場し、第1世代のガールズグループが続々とデビューしていましたが、パフォーマンスの質においてMAXやSPEEDら同時期のJ-popのガールズグループには及びませんでした。

K-popガールズグループの転換点としてのY2K

SPEEDとほぼ同時期にデビューしたK-popの代表的ガールズグループにFin .K.L.(ピンクル)がいます。日本でSPEEDが人気絶頂であった1999年に韓国で放送されたFin .K.L.のステージはこのような感じでした。

現在のK-popのようなダンスとボーカルのスキルよりも、今の日本のアイドルのようなキュートさを重視したパフォーマンスとなっています。
しかし、翌2000年のステージは大きく変化しました。

安室奈美恵やSPEEDの刺激もあって、K-popガールズグループに消費者が求めるパフォーマンスが変化し、それに対応したものと考えられます。
SMエンターテインメントを中心に、沖縄アクターズスクールやジャニーズ事務所のアーティスト養成システムを参考にしつつ、洋楽のボイストレーニング法なども取り入れながらさらに韓国で改良が重ねられ、現在のようなK-popのアーティスト養成システムが構築されていったのが2000年前後の時期、つまり「Y2K」でした。

SPEEDの成功を支えたシステムが韓国でさらに発展

このように「Y2K」の時期に構築されたアーティスト養成システムによって育成されたBoA、東方神起らK-popのアーティストたちが、2000年代の日本に進出することになりました。
一方で、J-pop界では2000年にSPEEDが解散し、その後は激しいダンスを伴うようなパフォーマンスよりも「癒し系」アーティストが人気となり、沖縄アクターズスクールもその役割を終えていきました。
こうして、アジアにおけるダンス&ボーカルグループの本場は日本から韓国へと移っていくことになりました。
SPEEDの成功を支えたトレーニングシステムは日本では途絶えてしまいましたが、韓国でほかのシステムと融合しながらさらに大きく発展して今日のK-popの人材育成の根幹となったのでした。
New Jeansはまさにその伝統の中から生まれたアーティストであるわけです。
「厳しい事前トレーニングによる完成形でのデビュー」という共通点は偶然でなく、このような歴史的因縁によるものだったのでした。

次回は、「従来型のアイドルとは差別化された洋楽志向」というNew JeansとSPEEDの共通点について考えていきたいと思います。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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