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(雑だが少しは身のある話4)本を編集するとき、常に頭に住んでる3人の女性(1人目 Kちゃん)

この7月19日でうっかり48歳になるのだけど、48年も生きていればいろんな局面でいろんな人に会ってきた。その中でもとりわけ心に残っている3人の女性について書こうと思う。


その3人は世代も、出会った時期も、交わした言葉の数もすごく限定的で、しかも最後の3人目は話したことすらない。だけど私が本を作るとき、この本がどうか彼女たちの手に渡って、本に出会う前より出会ったあとの方がいくらか幸せになっていることを願いながら、編集しているのだった。

まず一人目は、大学時代に公文の先生バイトをやっていたときに出会った、小6生徒のKちゃん。彼女は賢くて素直で屈託がなくて、どこか大人びた雰囲気もあって、大学生の私もあまり年齢差を感じずに話せていた子だった。身長も伸び盛りで当時160センチくらいはすでにあったはずで、第二次性徴における体の発育もよく、胸もちょっと膨らみ始めていた。どちらかというとボーイッシュなキャラだったので、きっとまだブラジャーを着けるほどの必要性や重要性も感じておらず、だからわりと無防備な危うさは持っていたかもしれない。

ある日、私がいつものようにKちゃんと会話しながら丸付けをしていると、公文の先生(教室を開いている初老の女性)が、唐突にKちゃんに「Kちゃん、おっぱい大きくなったね~!」と大声で一言。カッと赤面するKちゃん。でも先生はそれからも「発育良いもんね~」とか「生理はまだなの?」とか聞きやがる。大勢の生徒が見てる前でそんなことを言われ、もうKちゃんは泣きそう。私は大急ぎで話題を変え、Kちゃんをその地獄から逃したのだけど、それでもどうしてあのとき公文の先生に向かってしっかりと注意できなかったのだろうと、今思い出しても自分に腹が立つのだった。

Kちゃんはきっと、自分の体の急激な変化についていけてなかったんだろう。膨らみ始めた胸だって、どう処理していいかわからないまま、子供の自分のままであることを望んでいたのだと思う。先生からデリカシーのない言葉を浴びせられ、それに耐えるKちゃんの姿は、少女が大人になっていく過程の中でむざむざと好奇の目にさらされる屈辱と羞恥に満ちていて、当時21歳の私はそんな彼女に対して適切な声がけもフォローも、公文の先生への肘鉄も食らわせることができなかった。

その反省とふがいなさを込めて、私は本を作るとき、「どこかでこのタイトルをKちゃんが読んでくれて、おとなになったことの楽しさや愉快さを存分に味わってくれていたら良いなあ」と願をかけているのだった。

Kちゃん、あのときは守ってあげられなくてごめんね。もし今度ああいう場面に出くわしたら、絶対、少女たちを守るからね。



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