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傾聴の力と可能性

ジョンさんの歩きながら始まること。

大学の研究所で、グリーフケアを学んで4年目にスピリチュアルケア師を取得した。最初の2年で傾聴やグリーフケアを学ぶ中で、その奥深さを知りスピリチュアルケア師を目指して、追加で2年間学び、資格試験を受験する資格を得た。
コロナ禍で、追加で1年学ぶところを2年かけて学べたのはラッキーだったと思う。
1年は共に学びを深めた仲間の間でも『おまけ』と呼び良い時間だったと思いを共有している。

実習が出来ず、実習をワークで補充するというカリキュラムだった。オンラインでの授業やオンラインでのワークで、とこまで思いやその場の雰囲気を共有できるのかは課題だった。
不安や心配もあったが、ほとんどのメンバーが2年間対面で授業やワークをした仲間だったこともあり想像以上に思いや雰囲気を共有できたり、グループダイナミクスを感じたりする事ができた。

更に、傾聴100時間の実習もあった。この実習を、現在の職場で実施させて頂けたことも、最後まで実習を乗り越えられた要因だと思う。2年という時間をかけて実習や授業を受けられたことは、私のペースに合っていた。私は、もともとのんびりしている。

傾聴100時間実習では、ただただ傾聴する。しかし、その傾聴の中身は実に奥深い。私が、話し手の前に在ること、どんな表情で、どんな態度で。私が話し手の話を聴くと、自分自身がどんな気持ちになるのか、そしてどんな“ことば”でそれを表現するのか。私の反応を受けて、話し手は、どんな反応をするのか。

これまで仕事として傾聴していた『傾聴』が崩れた。私は、目の前の人の何を聴いていたんだろうか。仕事の中では傾聴は『業務』である。多岐に渡る業務の中で、私が一人の人間として傾聴する時間はなかったのではないだろうかと感じる。とは言っても、一人の看護師としてその時の、精一杯でお届けしている。

ここでの学びで、オンラインでの画面を通しての傾聴も含め、傾聴には力があると感じている。
話すことで、ここから歩き出せる一歩となったり、これまでの自分を認められてホッとしたり、皆さんも人に何かを話すことでこんな気持ちを、じんわりと湧き出てくる感覚を感じたことがあるのではないだろうか。そんなじんわり暖かい力が、その後の人生には必要な時があると思う。そんな力と未来に繋がっていく可能性みたいなものを感じながら、私は今日も明日も傾聴する。その人に一番近い場所で傾聴を続けている。

先日、『雨の日の心理学』という東畑開人さんのセミナーに参加した。連続講座なのでまだ続くが、かなり興味深い内容だった。公認心理師資格を取得してまだまだ心理の勉強が不足していることもあり勉強のためにと受講を決めたのだが、ケアすることにフォーカスした内容が私が大切にしていることとリンクしていた。また、同時にオンラインで受講したのが500名を超えるケアに関心のある方々だったのも同じように悩んだり、考えたりしている人の存在が胸を熱くした。

セミナーの中では、ここ20年は心理の世界で聴くことが置き去りになっていたことを話されていた。ちゃんと聴かれないままに過ごされていることが多い。
ここでも、聴くことの力を伝えて頂いた。

今、ここで考えている事がたまたま手に取った本やたまたま見た映画などの内容とリンクしていると感じることが多い。今回もそんな感覚を受けながら何かが動き出しそうな予感がする。セミナー内で東畑さんが引用された「ことば」をここにも残しておきたいと思う。

理解とは、現実にそれがどのようなものであれ、予断をくだすことなく注意深く向き合い、それに負けないことなのだ。

アーレント  全体主義の起源Ⅰ

人は理解されている時には孤独ではなくなる。
重要なのは「理解」そのものがケアであるということ。
そして、ケアとは「つながり」の提供である。
こんな「ことば」が溢れたセミナーを受けてケア者として私自身も癒され、更に考えていきたいと感じた。

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