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アジフライ

「アジフライ食べたくない?」
ダメ元で誘ったら、意外にものってきた。冬休みも残り2日。ガソリンスタンドの拭き上げコーナーで、冷えた手を缶コーヒーで温める。ちょっと遠くの岬まで、ドライブだ。
駅前のロータリーで彼女をピックアップして、環状線を走る。年末に何となく気まずくなった空気が車内に広がる。ほとんど知らない曲のベストアルバムは、なかなか話すきっかけをくれない。
「なんで急にアジフライ?」
「日本人はアジだろ、やっぱ」
「あはっ。なにそれ、意味わかんない」
意味のわからない、意味のない掛け合い。海岸沿いのバイパスに乗る頃には、いつものふたりに戻っていた。

「わぁ、きれい!」
地平線まで続く海と、そこから広がる空。まばらに雲があり快晴ではないのだけれど、普段あまり目にしない煌めく波は、今日を特別な日のように思わせる。
「君の方が綺麗だよ」
何を見るにつけても口にするこの言葉は、定番ギャグのようになってしまった。
「私ばっか見てないで、前を見て運転してくださーい」
ぶっきらぼうに言うが、ちらっと見た彼女の口元は緩んでいた。まだ、この言葉の何パーセントかは真っ直ぐに受け取ってくれているようだ。そう思うと、こっちの口元も緩んでしまう。きつい坂に差し掛かり、オンボロの四駆はエンジンの回転数を上げた。
「まもなく、アジフライ〜アジフライに到着でぇす」
「好きだねぇ、アジフライ」
2人で、口元を誤魔化すように笑い合った。

正月休みから日常へと戻っていくグラデーションの中、観光客はまばらだった。この辺りで一番美味しいのかどうかは知らないけれど、何となくいつも入ってしまう食堂がある。年中出されていると思われるアジフライの看板に安心すると、真新しい砕石を踏みしめながら車を停めた。車を降りて体を伸ばしていると、波の音が聞こえた。日常から半歩踏み出して来たという感じだ。
「ねえ、ごはんの前に少し歩こうよ」
いつのまにかマフラーを巻いて、大袈裟な準備体操をしている。灯台への遊歩道や砂浜を通り過ぎてここまで来たのだが、まあいい。
「ようし、ランチタイムのラストオーダーまでには戻ってくるぞ?」
旬ではないアジフライだって、1番の目的ではないのだ。

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