本人さんの「他者」になる
福祉の就労支援の現場にいるわたし。
現場の仕事はさまざまであり、請負のものもあります。
ただ、例えば農業系といっても、おいしい野菜を育てること/利益とかも踏まえて栽培すること
などはまだまだです。(すこしずつ勉強中)
なので、「指導」「教育」といった立場から、関わっているわけはありません。
時折、「生活支援員」といったわかりやすい肩書きはあるけれども、やってることが、いまだに、しっくりしてきていない部分があります。
・朝の挨拶
・送迎
・検温
・仕事
など分解していけば、行うことはある。
もどかしいのが、実際の生活で起こっていることには直接介入できるわけではありません。
例えば、「夜よく眠れない」「調子がわるい」といった訴えがあったとします。
これに対し、「眠れなさ」「わるさ」の具体化ははかる/職員で共有/場合によっては本人さんの生活目標にとできますが、実際の体調コントロールは自分でできるようになるのがベストです。
といっても、人間「わかっていても、なかなかできない」ものです。
リズムが整ってくる時もあれば、悪い時もあります。
分かりやすく、「課題抽出→サービス提供→解決/残った課題」となるわけではありません。
ここで、なにが「支援」たるかが事業所や各職員に問われていることです。
すぱっと解決、、ではありませんが、わたしたちがいることで、ささいな家庭やそのほかのコミュニティ(他者)とあったことを聴くことはできます。
・同時で利用している施設の利用者さんとの困りごと
・家族との困りごと
・過去にあったエピソード
ふとしていると、たわいもない話をする時もあります。
正直、どう「仕事」になっているのか実感しにくいなと感じる時があります。
そんな時、ふと自分の実感とは別で、「他者」になっていることこそにまずスタートがあるんではと思いました。
と、書きながら、まだ利用者さんと関係をつくりきれてないのかもしれないと感じました。
よりささいなことを掬えるようになりたいです。
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