自分の人生は自分で決断しているはずなのに、何故かしんどさを感じる場合の思考
自分の人生のはずなのに、何故か自分以外のもので出来ている。
Want to ではなく、Have to の割合が増えている。
振り返ると、そんな事ばかりな気がしてしまう。
「Have to」ではなく「Want to」(がしたい)
他責思考ではなく自責思考(がしたい)
ハズなのに、なぜかしんどい。
どうしてしんどいと感じるのだろうか。
その1つの原因としておそらく、「Want to」を信じてやり抜く中で、上手く行かない事がある、というのがあると思う。
自らがやりたい、と思って始めた何か、が上手くいかなくなった。
その時に、自分でそれをやろう、と決断したにも関わらず、その決断がまるで他者から押し付けられているかのように感じる。
ここから、しんどさが生まれるのだろう。
例えば、実習で毎日遅くまで拘束される事にしんどさを感じていたとしよう。
そもそも遅くまで拘束「されている」訳ではない。
自らの意志で「遅くまで病棟に居る」事を選択しているはずなのだ。
もしくは、
「早くに帰ることで先生から”真面目じゃいね”と思われることと、早く帰って自分の時間を確保することを天秤にかけた時に、後者を選んだ」
はずなのに、その意識が自分の中で薄いのだろう。
そう、自らで選んでいるはずなのだ。今の生活を。
別にそれが嫌だったら、というか他の選択がしたければ、その選択をすれば良いはずなのである。
でも、選べない。考えるばかりで、実際に動こう、としない。
そもそもこうやって自分の中で無意識に決断しているにもかかわらず、他人のような顔をして、「日常が辛い」と言っている自分が許せない。
おそらく100-0思考などの認知のゆがみが入っている故にしんどいのだと思う。もっと柔軟に考えることで、思考からやってくる痛み、というのは和らいでいく気がする。
答えが分からないのだ。
何の答えかって?
具体的には、「他責思考にはならないけれど、他人と協力する方法」の答え、である。
今のところ、「自らが全力で作業しつつ、他者を巻き込んでいく」という回答を仮固定することで進めている節がある気がする。
とりあえず、自分がやりたい且つ他者との予定調整が必要、なものから進めていこう。
では。
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