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二度と訪れない『今日』という時間をかみしめる【ちょっと思い出しただけ】

自分が好きなものに「好き」と伝える。そこに理由はいらない。多分。

でも、言葉にしないと不安になってしまうから、アレコレと理由をつけようとする。


「めっちゃかわいい」「声が推し」「仕草が素敵」「服のセンスがいい」「料理を作ったらいつも少し塩辛いところがたまらない」「勉強始めるとすぐ寝るよね」
(最後は最早悪口まである)


恋は盲目、最初のうちはお互いに深い所までずぶずぶだから、そういう取ってつけたような理由でも、

「この人は私のことをこんなにも大切にしてくれる」

と解釈するものである。


しかし、慣れほど怖いものはない。


あの時ドキドキした言葉も、1年間聞き続ければ色褪せる。物足りなさを感じてしまう。

そして、新しい言葉を追い求める。
言葉が手に入らないと拗ねたふりをして、相手の興味を惹こうとする。そうやって構ってもらっても、心は満ち足りないと知っていながらも。



ほとんど何も変わっていないのにモデルチェンジと銘打って、1万円くらい高くなる冷蔵庫みたいだ。

言葉を求めても、きりが無い。でも、求めてしまう。それが人の性、ではなかろうか。



「ちょっと思い出しただけ」という映画を見た。

タクシー運転手として働く女性、舞台の照明を生業とする男性、そんな20代後半のカップルがいる。その2人の6年間を振り返るお話だ。


2月11日公開。断じてミーハーではない。(原稿作成当時は2月13日)

普段恋愛映画を見に行く男性友人がたまたま居て、
ちょうど去年も同じ時期に恋愛映画を見に行っていたので、
今年もそういう流れになった。

ただそれだけである。



もし貴方が1日だけ選んで、2年前、5年前、10年前のその日に戻れるとしたら、いつを選ぶだろうか?


結婚記念日? 自分の誕生日?それとも、受験に合格した日?


誰もが、かけがえの無い毎日を送っている。

一度過ぎ去ってしまったら、二度と戻らない。そんな毎日を送っている。



今日彼に思いを伝えなかったことで、後悔しないだろうか。

今日これをやらなかったことで、後悔しないだろうか。



後悔というものは、その瞬間にすることは意外と少なくて。後からボディーブローの様に、じわじわ効いてくることが多い。言葉の通り、


 後から 悔やむ

のだ。


例えば私の場合。「映画を見終わってホカホカの瞬間」というのは今日しかない。

日が変われば、また同じような一日が始まってしまう。時の流れを止めることは許されない。弁当を作り、ジムに行き、実習へと向かう。



なんだか、タスク処理にも関係してきそうな話だな、とも感じる。

「あー、後でやっておきます」と言って1週間後に回すか、「承知しました」と今、10分で終わらせるか。

今やっている作業を中断することは決して良いことではない。
が、だからといって後回しにしても、そのタスクについて今以上に「ホカホカな時間」は二度と来ない。

時間が経てば新しいタスクが舞い込んでくる。そんな状況で、過去のタスクを振り返る時間など、どこにあるというのだろうか。



「想いは形にしないと、伝わらない」

とりとめのない話で申し訳ない。

最後に一つ、恋愛の話をしよう。
映画のネタバレでは無いので安心してほしい。


私という生き物はこれまで、相手に思いを伝えることに対して恥ずかしさ、を抱くことが多かった。


おめかしをしてきた彼女に対して

綺麗だよ

という言葉をかける。



自分のことを思ってやってくれた行動に対して

ありがとう

と伝える。



そして相手のことを大切に想っている時に、

大好き

という言葉をかける。



こんなこと、わざわざ言わなくても分かるんじゃないか?

そう思っていた。


むしろ言葉にすることで陳腐になりそうだ

とまで考えていた。


むしろ逆ではないか???


「勿体ぶらないと陳腐になる?なら陳腐になるまで言ってやる。そうしたら、新しい言葉が出てくるからな」
(最早これは逆ではない)


自分の思いは、言葉にしないと伝わらない。
言葉にすると陳腐になるなら、それを突き抜けて、その先へ行ってやろう。今はそう思う。


少なくとも自分が大切にしたい、と思う人に対して感情の出し惜しみをするのはやめよう、と強く思った、夜である。

雨が窓を濡らしている。
明日の朝、ジムの時間までにあがっていると良いのだけれど。


ではまた。

因みに、3本の薔薇の花言葉は「愛しています」「告白」である。

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