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”引っ越し”という価値観の喪失、新しい分人との出会い。

6月1日、引っ越しをしました。

学生時代に住んでいた、家賃3万円1Kの下宿から、家賃6万円1LDKの下宿へ。
引っ越し、と言っても住む街が変わるわけではなく、同じ町、同じ丁目の中で、番地が変わるだけ。窓から見える景色は、学生時代に見慣れたものです。

それでも元々住んでいた家を片付け、離れる時にはどうも淋しく?悲しくなる。
卒業式の二次会で、「もう二度とこいつとは会えないかもしれない」と思ったときの感情と似ていますね。


昨年、グリーフサポート研究所の方とお話する機会があり、その時に「グリーフとは、自分がそれまで持っていた価値観を喪失することなのだ」と言うことを知りました。
医療の世界で一般的に言われている「グリーフ」も、愛する人、近しい人を亡くすことでその人の心にポッカリと穴があく状態を指しますが、この「心に穴が開く」というのが、価値観の喪失なのだと思っています。

これは平野啓一郎さんの「分人思考」にも通ずるものがあると思ってます。
僕らは自分の中に「本当の自分」というのが居て、人前ではその上に仮面の様なものを付け替えて過ごしている、という考えをしがちだがそうではなく、寧ろ「本当の自分などいない」とするのが分人思考である。
本当の自分が居て仮面をつけるのではなく、Aさんの前ではAさんに見せる「分人」が、Bさんの前ではBさんに見せる「分人」がそれぞれ現れている、とする。そして自分の性格とか志向というのは、その分人がどれくらいの比率で構成されているかに左右される、ということだ。

人は、「自分がどういう分人は好きで、どうい分人は嫌いだ」ということを無意識に察知していて、自分が好きで居られる分人が最大になるように、動こうとするらしい。

高校生までを実家で過ごし、大学生になって下宿を始めた途端人が変わったようになる、というのもまさにこれで、
実家で過ごしていた時は「親の前で現れる分人」の比率が高く、それに対応した性格が出てきていたが、家を離れ、「親の前で現れる分人」の比率がその人の中で下がり、代わりに「部活動の先輩の前で見せる分人」の比率が高まった結果、性格が変わってしまった、という説明をつけることが出来る。
しかして「自分」というものは、分人の組み合わせで出来るものだが、人を亡くすことで、その人の前で見せていた分人を表現することができなくなる。

人が亡くなって、もう会えないとなった時。その人の前で見せる分人が好きだった場合は、その分人を出すことはできなくなる。
解決方法は1つだけで、その分人を出せない事を自分自身が理解し、自分が心地よいと思える、新しい「分人の比率」を見出していくしかないのだ。


このように、(価値観の)喪失体験と分人思考は、通ずる部分があるように感じる。

そんなこんなで6月になり引っ越しを済ませたわけだが、ここに来て寂しさが極まっている理由も、まさにこれだろう。

卒業式というセレモニーを終えることで友人に一時の別れを告げ、その後、職場で過ごし始める。
しかし住まいは学生時代のままであったから、言ってみれば「学生時代の分人」には、下宿に変えることで会うことが出来たわけである。

しかしこの度下宿を引き払うことで、学生時代の思い出に浸れる場所が1つ減ることになる。
コロナ禍のオンライン授業を過ごし、暑い中扇風機だけつけてでmedu4を見て、彼女とカレーを作り、鍋をし。友達と飲み会をして盛り上がったあの場所を、失うことになるのだ。


洗濯機も冷蔵庫も移して、何もなくなった部屋でふと天井を見つめていると、そんなことが思い出される。


私が下宿を移したのは、三重県の海岸沿い。
2020年代後半に来るとされる南海トラフ巨大地震の被害を、真っ先に被る場所であることは、間違いない。これが起こった時、私はまた、価値観の喪失に出会うのだろう。

喪失には出会いが付き物であるとはいえ、Struggle することは間違いない。
人生という市場から、降りない。これを目標に、なんとかやっていこう。
ではまた。

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