他人は見下すくらいが丁度いい…のかも

過去の人間関係から人類は滅ぶべしとRPGのラスボス的思考になっています…初めまして!ジョンです。

初投稿のお題目として、「他人からの評価」を取り上げたいと思います。初投稿故に駄文になる事をお許しください。

数年前まで私は人の目を気にしまくり、他人にどう思われるか?嫌われないか?ばかりを気にして精神と自己肯定感をすり減らして来ました。(今も完全に脱却したとは言えません)
そしてもろ「他人からの評価」の結果が直結する恋愛においても別れて数年彼女が出来ずに今に至る現実からますますメンタルを削るという悪循環に陥っておりました。

しかし数年前の経験から理屈っぽい自分が「他人からの評価」に疑問を感じる様になり考えが少し変わります。

あるパターンでは職場のパートさんに自分の理屈っぽい恋愛観について、「そんなんじゃダメ」だとアドバイスをされましたが当の本人はというと
・旦那に浮気され仕返しにした浮気がバレ離婚調停中
・優しくしないドライな女を自称しつつ他人からの優しさには喜んで縋りつく
・嫉妬される事を嫌がりながら自身は嫉妬深い

など他人の私から見ても人の恋愛に関してどうこう言える立場ではない様に感じました。

また別のパターンでは私の親友と同郷の知人のやりとりにおいて、
私と同じく恋愛で理屈っぽくなってしまう親友に対して、

「〇〇は自分の理想を相手に押し付けすぎ。女は〇〇だからそんなんじゃ無理だよ」と知人。
知人はというと、
・彼女との性行為に関して避妊をしない事を誇らしげに自慢する
・挙げ句の果てに元カノを妊娠させ堕胎までさせた後に破局
・何か問題があれば常に周りの所為にする

など…
こういった所から見えるのが

「他人からの評価」が持つ実態の不安定さ

理屈に当てはめて振り返ればこの例に挙げた人達は人に説教してる場合ではなく自分を顧みて反省しなければならないはずです。
しかし現実はこういった人間が反省するどころか他人に図々しく口を出してくるわけです。あろうことかまるで自分が正しいお手本であるかの様に。

他人からの評価」とはこの様な恥ずかしい人達の評価を多分に含んでいる可能性が非常に高いわけです。その様な不安定な物に「自分の評価」を委ねたところでまともな評価はされないわけです。それどころか彼らがこちらを否定し踏み台にする事で間接的に自分を肯定しようとして来る事すらあり得ます。案外他人の評価なんて大した事ないのです。

タイトルでは「他人は見下すくらいが丁度いい」などと書きましたが、
私が言いたいのは、ご覧の通りこちらの事をちゃんと見て評価を下してる人間なんて当たり前にいる様なものではないのだから「他者の評価を気にしない!」事が大事なのではないでしょうか?(あわよくばタイトル通り皆さんの周りに居る上記の様なク●野郎を見下して頂いても結構です)
私は「自己評価」を他人に委ねるのを辞めて、理屈に当てはめて自分が「出来た事」「成長した事」「間違っていない事」は自分で自分をしっかり褒めてあげる様にしました。

他人に振り回されがちな人は今一度その自分を振り回す他人を見て、どんな人が振り回しているか分かれば心が軽くなるかもしれません。

よく見たら振り回す相手の方が貴方より中身のない軽い人間かもしれませんよ?

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