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きっとそれは、またパリを訪れるための忘れ物

「どこでも住めるとしたら」
なんて素敵な言葉なんだろう。

私には人生を終えるまでに絶対に住みたい場所がある。
それが、パリだ。

憧れの地パリ

私が初めてパリを訪れたのは2017年の夏。
革命記念日である7月14日の賑わいが落ち着いた翌日だった。

ずっと憧れていたパリ。
夫家族との旅行ということで少々気を遣いながらも、憧れの地に来られたことが夢のようで、初めて動物園を訪れた子どものように、きょろきょろしっぱなしだった。

ワイングラスとパリの夜

王道のルーブル美術館、ベルサイユ宮殿、モン・サン・ミシェルなどを観光し、ちょっとパリにも慣れてきた2日目の夜。
私は夫とお酒を楽しむため、2人で夜のパリの街に繰り出した。

「どのお店が良いかな〜」
「おしゃれすぎて私たち浮かないかな?!」

そんな話をしながら1軒のワインバーに入り、外のテラス席でほっと一息。

周りを見渡すと広がっていたのは、グラスの底にちょこっとだけ残ったワイン片手に、話に花を咲かせるパリの人たちだった。

ちょっと怪訝そうな顔で何かについて議論をする人たち、スマートな笑顔で語り合うカップル…なんだろう、そのとき感じたのは「私この空気が好き!」ということだった。

普段居酒屋で何杯も何杯もお酒を飲み、最後の方はベロベロになって何を話していたのか忘れてしまいがちだった私。せっかく良い話もしただろうに忘れてしまうなんてもったいないな〜と思っていた。

だからこそ、ワインを脇役に誰かとの「対話」をメインに時間を過ごすパリの人たちがとてもかっこいいと感じてしまったのだ。

たぶん私は、流れていって翌日には忘れてしまうような「会話」よりも、一言ひとことが心に刻み込まれていくような「対話」の方が心地よいと感じる人間なのかもしれない。

街ごとそんな雰囲気を漂わせるパリに、私は恋をしたのだ。
「ここが好き」シンプルに血が騒ぐほど、私はこの空気を求めていた。

そんなことをぼーっと考えながらふと目をやると、目の前に座っていたのは何杯もワインをおかわりする夫。
「場所は変われどあなたは変わらないのね」と目を見合わせて笑い合ったのが印象的な、忘れられない夜となった。

パリを訪れるための忘れ物

あれから5年。当時の私は、世界的な感染症で当たり前の日常が当たり前でなくなることや、自分に子どもができて気軽に旅行に行けなくなるなんて、全く想像できておらず…

「いつかまた来よう」のパリが、こんなにも遠く感じてしまうとは思ってもみなかった。

だけど私は、絶対にまたパリを訪れると自覚している。
だってあの夜、パリの街の雰囲気に惚れ込んだ私は、翌日から夫と「パリの街歩き」という単独行動を敢行したばっかりに、エッフェル塔に行かなかったから。

でも今思うのは、あのとき行かなかったのは「またいつか来れるから」というなんの裏付けもない自信があったからなのかなとも思う。
私は、エッフェル塔を見るというタスクをパリに忘れてきてしまった。
また訪れるためには、絶好の理由ではないか。

どこでも住めるならパリに住みたい。
パリの街を毎晩歩いて、雰囲気の良いバーで夫と1杯のワインを片手にどうでも良いことをだらだら3時間くらい喋る。
それが当たり前だといえる日常を手に入れることが、私の今の夢でもある。

目が覚めてカーテンを開けると、遠くにエッフェル塔が見えるー。
そんな朝が迎えられることを夢見ながら、今朝もせっせと娘の食べるおにぎりを握るのだ。

#どこでも住めるとしたら

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