アイデンティティ

つい2日前に、ドイツで生まれ育ったコンゴ系の学生と話していたときのこと。彼女は、生まれも育ちもドイツだけど私はドイツ人と言うよりもコンゴ人としてのアイデンティティを持ってる、と言っていた。周りの友達は、そうなんだね!素敵やん、たとえばどんなところ?と聞いていた。ご両親がコンゴの文化を大切にしていること、コンゴの食べ物が大好きなことなど、話していた。

私にはこれが、少し驚きだった。アメリカに行った時、韓国系、中国系、インド系、いろんなアメリカ人にあったけど、2世の子でも、私はアメリカ人だ、という子が圧倒的に多かったし、世の中の流れ的にも、何系であろうが生まれ育った場所がその国であればその国の人として受け入れるべきみたいな風潮があるように感じていたからだ。もちろん、それはそうだと思うし平等に扱うべきだと思うけど、その人本人がどうアイデンティティを定義するかはその人の自由で、この国では、どっちもアリなのだ。コンゴ系のその女の子が、サラッとそんなことを言えるのも、それを聞いた私の友達がサラッとそれを素敵だと言えるのも、本当に素敵だと思った。
自分が好きなように自分を定義してもいい。至極当たり前な話かもしれない。日本生まれの日本育ちの100%純血の日本人だけど、外国人の多い教会、チャーチスクール、国際バカロレアや大学の留学生コースで育った私は、正直日本人としてのアイデンティティはそこまでない。それでも家族や研究室の人には、ゆうみは日本人なんだから、と言っていろんな考え方や価値観などを押し付けられてきた。西洋かぶれ、そんなことで文句言うなら日本にいなければいいと言われたこともある。でも、ここではみんなそれぞれ違っていい。ドイツ人のアイデンティティがなくてもドイツにいていい。だから私はここにいる方がホームに感じる。

日本では、韓国の習慣や文化を守りたい在日韓国人に、韓国が好きなら韓国に戻れと平気で言う。本当に嫌な国だなと思う。その人のアイデンティティと仕事や住む場所は別物だ。どのアイデンティティを持っていてもどの国にいてもいい。ユダヤ人はいい例だと思う。どの国にいてもユダヤ人はユダヤ人だし、お祝い事もするし、習慣も守る(もちろんどれくらい伝統的なユダヤ人かにもよるけど)。もっといろんな人に優しくオープンマインドな日本になってほしいもんだなと心から思う。

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